人柱

泉大津岸和田

火消し地蔵(大阪府岸和田市)

ひけしじぞう久米田寺の山門前にある地蔵久米田池の造営に反対して(あるいは造営の際に人柱を出すことになった恨みから)寺を焼こうとした怨念の怪火が転がり現れたそれを食い止め鎮めるために行基が地蔵を建てたとされる(あるいは村人が置いたとも)『日本...
八尾河内長野

堤根神社 茨田堤(大阪府門真市)

つつみねじんじゃ まんだのつつみ仁徳天皇時代に造営された堤防の名残が、約30mほど続く堤完成のため人柱に選ばれたうち、茨田連衫子(まんだのむらじころもこ)は瓢箪が沈めば人柱になると誓い、人柱を免れた堤根神社が衫子ゆかりの地とされ、“浮かびひ...
大阪

強頸絶間跡(大阪府大阪市旭区)

こわくびたえまあと仁徳天皇の頃、淀川治水のために茨田の堤(堤防)を造るが、2箇所の決壊点(絶間)があるため、2人の人柱を立てたうち一人の武蔵強頸は嘆き悲しみながらも、命ぜられるまま人柱となった『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.18...
宇治長岡京

講田寺 笑地蔵(京都府八幡市)

こうでんじ わらいじぞう長柄橋の人柱となった父の巌氏(長者)を思い、喋らなくなった娘は父の菩提を弔うため出家して不言寺を建て、長柄橋の橋柱(用材)で地蔵を造ったあるいは離縁を免れた娘が、夫の死後に不言寺を建てたともその後不言寺が廃寺となり、...
大阪

大願寺(大阪府大阪市淀川区)

だいがんじ長柄橋の架設の際に人柱となった巌氏の供養のために推古天皇が建立された、橋本寺が起源とされる寛仁3年(1019年)に伝説に感銘した後一条天皇が長柄橋の橋柱で地蔵を造り、橋柱の残木(用材)と共に寺宝として残されている『日本の伝説8 大...
大阪

長柄の人柱碑(大阪府大阪市淀川区)

ながえのひとばしらひ推古天皇(在位:593~628年)の時代、長柄の橋は幾度となく流されたため、人柱を立てることに決めたこの時通りがかった垂水長者の巌氏が、袴に継ぎ当てのある者を人柱にと進言した巌氏の袴に継ぎ当てがあったため、言った本人が人...
金沢

御山神社(石川県津幡町)

おやまじんじゃ焼失した本殿を再建する際、基礎となる柱が倒れるため、庄屋の娘が人柱を提案したくじを引いたところ、その娘が人柱と決まり、埋められた『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.33石川県津幡町 下川合
三次庄原

国兼池(広島県庄原市)

くにかねいけ正保3年(1646年)に川を堰き止めて造られた溜め池文久3年(1863年)の改修の際に人柱となったお国・お兼姉妹から名付けられた池(地名の由来)池には2人の霊が変化したという赤と黒の大鯉がいる(変身譚)『日本の伝説21 広島の伝...
呉竹原東広島

音戸の瀬戸/清盛塚(広島県呉市)

おんどのせと/きよもりづか平清盛が開削したとされる海峡人柱の代わりに一字一石の経石を海中に埋め、その上に石塔を建てて塚とした(清盛塚)日没近くになっても開削工事は終わらないため、清盛が扇で太陽を呼び戻した(日招き伝説)この行為が、清盛が熱病...
三次庄原

百万一心の碑(広島県安芸高田市)

ひゃくまんいっしんのひ毛利元就が、吉田郡山城の築城工事の際に、人柱の代わりに埋めた石碑「一人一人が力を合わせて、心を一つにして事にあたる」ことを意味する(教訓譚)文化13年(1816年)に長州藩士が発見したとされるが、拓本のみで実物は未見と...