唐津伊万里

広沢寺(佐賀県唐津市)

こうたくじ名護屋城内の山里丸跡にある、豊臣秀吉が建立した寺院名護屋城の地を領有していた名護屋経述(戦国武将)の妹で、松浦一の美女と言われて秀吉の側室となった広沢局の名を採って創建された秀吉の死後、広沢局はこの寺で仏門に入り、境内に秀吉の遺髪...
唐津伊万里

岸岳城跡(佐賀県唐津市)

きしだけじょうあと松浦党の分家・波多氏(武家)が鎌倉時代以降居城としたとされる城波多氏17代の三河守親(ちかし:戦国大名)は豊臣秀吉の不興を買い、文禄2年(1593年)朝鮮の役から帰国直後に軍律違反を理由に帰城を許されず改易となったこの時残...
唐津伊万里

獅子ヶ城跡(佐賀県唐津市)

ししがじょうあと戦国時代に、波多氏の家臣・鶴田越前守前(すすむ:戦国武将)が城を守った龍造寺氏との戦いで包囲され、水の手を断たれかけた時、城を守る久部助左衛門が灰を混ぜた米を馬の背に流しかけ、水があると見せかけ危機を脱した(白米城伝説)この...
武雄多久小城

梶峯城跡(佐賀県多久市)

かじみねじょうあと鎌倉時代以降、多久氏(武家)の居城であったことから、“多久城”とも呼ばれる主郭部分が南北に延びて雄城と雌城に分かれているが、その中央に直径5mあまりの穴(洞穴)があるこの穴は城の南方に抜ける地下道の入口とされ、そこから兵糧...
橿原桜井天理

一升坂(奈良県高取町)

いっしょうざか高取城築城の折に石垣を運んだが、急坂のところで立ち往生した普請奉行が「一日あたり米一升給金に加増する」と人夫を励まして運び上げた(地名の由来)『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.63奈良県高取町 上子島
橿原桜井天理

龍王山城跡(奈良県天理市)

りゅうおうざんじょう松永久秀に滅ぼされた十市遠忠(戦国武将)の怨念が残り、ホイホイ火(ジャンジャン火)と呼ばれる怪火となった夏の雨の夜に城址で「ホイホイ」と声を上げると火が飛んできて、見た者は発病し数日高熱で伏せるとされる怪火が出現するのは...
生駒葛城

大和郡山城跡 三の丸蛙(奈良県大和郡山市)

やまとこおりやまじょうあと さんのまるかえる梅雨になると、大和郡山城三の丸に数㎜ぐらいの黒い小さな蛙が大発生する斬首の刑で死んだ者(罪人)の怨念(怨霊)が具現したものとされる(呪い)『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.26奈良県大...
生駒葛城

弁慶定形石(奈良県大和郡山市)

べんけいていけいいし?大和郡山城の桜門跡の石垣の一つに凹みがあり、弁慶が踏ん張った足跡(手形足形)と言われる(痕が残る石)『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.26奈良県大和郡山市 北郡山町
行田春日部

忍城址(埼玉県行田市)

おしじょうし関東七名城の一つで、豊臣秀吉の小田原攻め(戦国の戦い)の際、石田三成(戦国武将)が水攻めをしたが最後まで落城しなかった城この戦いから“忍の浮城”あるいは“亀城”と呼ばれた『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.92埼玉県行...
川越所沢飯能

松山城跡(埼玉県吉見町)

まつやまじょうあと武田信玄がこの城を攻めた時、城側は白米で馬を洗って水の枯渇を欺いたが、結局落城した(落城伝説:白米城伝説)永禄6年(1563年)武田信玄が攻めた時、金山衆を使って坑道を掘って城攻めをしたとされる『日本の伝説18 埼玉の伝説...