唐津伊万里広沢寺(佐賀県唐津市) こうたくじ名護屋城内の山里丸跡にある、豊臣秀吉が建立した寺院名護屋城の地を領有していた名護屋経述(戦国武将)の妹で、松浦一の美女と言われて秀吉の側室となった広沢局の名を採って創建された秀吉の死後、広沢局はこの寺で仏門に入り、境内に秀吉の遺髪... 2026.02.17唐津伊万里
唐津伊万里虹の松原(佐賀県唐津市) にじのまつばら海岸線(浜海岸)にある長さ4.5km、幅約500mの松林(叢林)唐津藩初代藩主・寺沢広高(大名)が砂防林として植林したのが始まりとされる(起源伝説)豊臣秀吉にまつわる七不思議があり、一喝したため蝉(昆虫)が鳴かなくなった(音止... 2026.02.07唐津伊万里
唐津伊万里諏訪神社(佐賀県唐津市浜玉町浜崎) すわじんじゃ百済の鷹匠・誓来(斉来:渡来人)が朝廷に鷹を献上するため来日し、矢田連の娘・諏訪姫(姫君)が勅使としてこの地に鷹を受け取りに来た鷹狩りの稽古をするうちに二人は恋仲となるが、献上の鷹が蝮(蛇)に殺されてしまい、諏訪姫は責を負って自... 2026.02.07唐津伊万里
唐津伊万里観音の滝(佐賀県唐津市) かんのんのたき高さ約45m、幅約10mの滝で、そのそばに生目観音があり、滝の水で目を洗うと眼病が治るとされるまた手拭い(織布)に願い事を書いて奉納すると叶うともされる(特別な奉納)豊臣秀吉の側室・広沢の局が文禄3年(1594年)に眼病を患っ... 2026.02.07唐津伊万里
唐津伊万里岸岳城跡(佐賀県唐津市) きしだけじょうあと松浦党の分家・波多氏(武家)が鎌倉時代以降居城としたとされる城波多氏17代の三河守親(ちかし:戦国大名)は豊臣秀吉の不興を買い、文禄2年(1593年)朝鮮の役から帰国直後に軍律違反を理由に帰城を許されず改易となったこの時残... 2026.02.05唐津伊万里
武雄多久小城原巻坂(佐賀県多久市) はばらざか山犬原から多久原へ向かう道筋にある急坂豊臣秀吉が名護屋城へ向かう途中、この坂で腹痛を起こし、布(織布)を腹に巻いてしのいだこのことから腹巻坂と呼ばれ、原巻坂となったとされる(地名の由来)坂の登り口を“茶屋の原”と言い、龍造寺隆信(... 2026.02.01武雄多久小城
行田春日部忍城址(埼玉県行田市) おしじょうし関東七名城の一つで、豊臣秀吉の小田原攻め(戦国の戦い)の際、石田三成(戦国武将)が水攻めをしたが最後まで落城しなかった城この戦いから“忍の浮城”あるいは“亀城”と呼ばれた『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.92埼玉県行... 2025.10.25行田春日部
薩摩川内出水和睦石(鹿児島県薩摩川内市) わぼくいし豊臣秀吉が泰平寺を島津征討の本陣としていたところ、住職の宥印法師(名僧)が和睦を斡旋したここで島津義久(戦国大名)と対面して和睦したことを記念して大小2つの庭石を残した(名石)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.73鹿... 2025.08.26薩摩川内出水
薩摩川内出水関白陣(鹿児島県伊佐市) かんぱくじん“天堂ヶ尾”とも呼ばれる、小高い丘豊臣秀吉が島津氏との和睦の際に島津の武将・新納忠元(戦国武将)と面会した場所「再び刃向かうことがあるか」と秀吉に問われ「主が立てば立つ」と新納が答えたまた「鼻の下にも鈴虫ぞ鳴く」という下の句に対... 2025.08.26薩摩川内出水
高槻茨木池田茨木神社 黒井の清水(大阪府茨木市) いばらぎじんじゃ くろいのしみず豊臣秀吉が茨木を訪れた際に口にして好んだ湧水大阪城で茶の湯をおこなう時、必ずこの水を使った現在茨木神社の境内に残る『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.109大阪府茨木市 元町 2025.07.12高槻茨木池田