和歌

安芸

吾妻子の滝(広島県東広島市)

あづまこのたき源頼政が敗死し、安芸国へ逃げた愛妾の菖蒲御前は、一時期この滝に身を潜めたこの間に、頼政との間に出来た種若丸が亡くなり、遺体をこの地に埋めた後に観音堂に宝篋印塔を安置した(子女受難)滝の名は、我が子の死を悲しんだ菖蒲御前が詠んだ...
広島廿日市

内侍岩(広島県廿日市市)

ないしいわ徳大寺実定大納言(公家)が厳島を訪ねた時に、巫女の有子内侍と相思相愛となったやがて大納言が京へ帰る際、有子内侍は船を追って岩(巨石)に登って和歌を詠み、別れを惜しんだその後、内侍は大納言を追って都へ行くが、身分違いをはかなんで入水...
広島廿日市

卒塔婆石/康頼灯籠(広島県廿日市市)

そとばいし/やすよりとうろう鹿ヶ谷の陰謀で鬼界ヶ島に流された平康頼(源平の武将)は、帰還を願った和歌を1000本の卒塔婆に書いて海に流した歌の書かれた1本の卒塔婆が厳島神社に流れ着いて、そこから康頼の赦免が叶った卒塔婆が流れ着いた場所にあっ...
西三河

無量寿寺 八橋(愛知県知立市)

むりょうじゅじ やつはし川で2人の子供を溺れ死なせた母が尼僧となり、川に8つの橋を架ける大願を成就した橋は八橋と呼ばれるようになり、周囲に杜若が咲く名所となった在原業平はこの八橋で、各句の頭に「かきつはた」の文字を織り込む和歌を一首詠んだこ...
東三河

伊良湖神社 磯丸霊神祠(愛知県田原市)

いらごじんじゃ いそまるれいしんほこら無学だった糟谷磯丸(歌人)は30歳半ばで和歌を始め、まじない歌で有名となった死後、まじない歌の効験から神格化され祠が建てられ、現在は伊良湖神社境内に糟谷磯丸旧里の碑(歌碑)と共にある『日本の伝説7 愛知...
海部知多

恋の水神社(愛知県美浜町)

こいのみずじんじゃ神のお告げで神水があることを知った允恭天皇が、藤原仲興(廷臣)に命じて探索させた尾張に赴いた仲興は湧水を見つけたが、誰もその名を知らないため“知らぬ沢”と名付けて和歌を詠んだ和歌の中に「君が恋しし水を汲むかな」とあったこと...
名古屋

熱田神宮 二十五丁橋(愛知県名古屋市熱田区)

あつたじんぐう にじゅうごちょうばし西行が熱田神宮を参拝し、この橋のたもとで和歌を詠むと返歌する者があり、驚いて逃げ帰った(声の怪)『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.12愛知県名古屋市熱田区 神宮
外房

墨染桜(千葉県東金市)

すみぞめざくら西行が、山城国の墨染寺にあった桜の枝を杖として旅をしていたこの地で山部赤人と小野小町を偲び、杖を地面に挿して和歌を一首詠んで立ち去ったが、その杖が大木となった『日本の伝説6 房総の伝説』(角川書店)p.80千葉県東金市 山田
東葛飾

正覚院鴨鴦寺(千葉県八千代市)

しょうかくいんおうえんじある男が阿蘇沼にいたおしどりの雄を射殺したその夜、夢の中におしどりの雌が人の姿となって現れ、夫婦の情愛を和歌に詠んで消えた男は出家して真円と名乗り、供養のために正覚院を建てた(創建伝説)『日本の伝説6 房総の伝説』(...
中越

愛宕神社 初君の歌碑(新潟県長岡市)

あたごじんじゃ はつきみのかひ藤原為兼(公家)が佐渡へ流される時、この地で船待ちをしたその間のつれづれを慰めたのが遊女の初君であったが、船出の際に互いに和歌を読みあって別れた赦免された為兼は勅撰和歌集『玉葉和歌集』の編纂の際に初君の歌を入れ...