地名の由来

南信

承知橋(長野県下諏訪町)

しょうちばし武田信玄が川中島の戦いから戻る際、この橋まで来ると馬が動かなくなった戦勝祈願の約束を思い出し、下馬して「神のお告げ承知仕った」と言って帰国したという(地名の由来)『日本の伝説3 信州の伝説』(角川書店)p.97長野県下諏訪町 下...
中信

太田清水(長野県塩尻市)

おおたしみず挙兵した木曽義仲が、馳せ参じた乳母子の今井兼平とこの地で出会ったこの湧水で兼平が馬の足を洗ったところ、たちまち馬が元気となり、この地は洗馬と呼ばれた(地名の由来)近くの「邂逅の清水」にも全く同じ伝承あり『日本の伝説3 信州の伝説...
中信

鯉岩(長野県南木曽町)

こいいわ形が鯉が飛び跳ねているように見えるために名付けられた巨石(奇岩怪石)明治時代の大地震のために頭部が崩落したこの岩のそばで木曽義仲と巴御前が別れを惜しんだことから「恋岩」ともいう(恋野という地名の由来)鎌倉時代あるいは戦国時代の武将の...
北信

一夜山(長野県長野市)

いちやさん鬼無里の里に遷都しようとしたところ、鬼女(巨人)が妨害のために里の中央に山を一夜で築いた(一夜作り伝説)怒った天武天皇は、阿倍比羅夫を派遣して鬼女を退治させた(化け物退治)それまでは水無瀬村と呼ばれていたが、鬼を退治したので「鬼無...
国頭

源為朝上陸記念碑(沖縄県今帰仁村)

みなもとのためともじょうりくきねんひ伊豆大島から九州を目指した源為朝が嵐によって琉球に漂着した(貴種流離譚)嵐の時に「運を天に任せる」と言って漂着した港なので、運天港と呼ばれるようになった(地名の由来)大正時代に記念碑が建つ『日本の伝説2 ...
中頭

牧港テラブのガマ(沖縄県浦添市)

まきみなとてらぶのがま琉球に漂着した源為朝は、大里按司の妹との間に一子(後の舜天王:琉球の名族)をもうけた(生誕伝説)為朝は再度本土を目指すが、妻子を連れて行くことが出来ず、妻子はこのガマ(洞穴)で待ったとされる牧港の名は、為朝の帰りを妻子...
洛中

水薬師寺(京都市下京区)

みずやくしじ平清盛が高熱で倒れた時、その身体を冷やしたとされる湧水があったとされる日に2回の干満(潮汐)があり、塩気を含んでいたため、若狭の海水が奈良二月堂へ流れる通り道にあると考えられた水薬師寺前の通りは、そのため「塩小路通」と呼ばれる(...