墓所

備後

通盛神社(広島県福山市)

みちもりじんじゃ“平家の宮”とも呼ばれ、この地に落ち延びた平通盛(平氏)とその妻の小宰相(平家の落人)を祭神として建久3年(1192年)に創建された神社本殿には、礼服姿の通盛・小宰相夫婦の木像(貴人像)が祀られる旧暦8月13日の祭礼には、海...
備北芸北

比婆山御陵(広島県庄原市)

ひばやまごりょう比婆山の山頂部分一帯を指す『古事記』によると伊弉冉神を葬った地とされ、陵墓とされる(黄泉国)山頂にある、樹齢約2000年のイチイの木(木本)に囲まれた巨石のある場所が墳墓(墓所)であるとされる『日本の伝説21 広島の伝説』(...
備北芸北

鬼王塚(広島県三次市)

おにおうづか曾我兄弟の従者で、虎御前に伴ってこの地へ来たとされる鬼王洞三郎はこの地で亡くなり、墓が建てられた(墓所)三良坂の地名は、この洞三郎が通った坂ということから採られたとの説がある(地名の由来) 『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書...
備後

イコーカ山古墳 宝篋印塔(広島県福山市)

いこーかやまこふん ほうきょういんとう直径10mの円墳で、二重の円筒埴輪列がある古墳の西側にある宝篋印塔は室町時代の作で、足利義昭の墓(墓所)であると言われる近くの池の埋め立てに失敗した池奉行(藩士)がこの古墳の上で自決し、その墓とも言われ...
備北芸北

▲曾我十郎の墓(広島県三次市)

そがじゅうろうのはか仇討ちの後この地まで曾我十郎(曾我兄弟)は逃げたが、塩貝の小富士山の上で矢に当たって殺されたこの山の山頂に曾我十郎の墓と言われる五輪塔がある(墓所)『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.82広島県三次市 甲奴町小...
安芸

虎御前の墓(広島県東広島市)

とらごぜんのはか曾我十郎の愛妾であった虎御前の墓(宝篋印塔)と呼ばれるものが、民家の裏庭にある(墓所)6月28日は“虎御前の涙”と呼ばれ、必ず雨が降るとされる『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.74広島県東広島市 河内町上戸野
安芸

▲曾我十郎の墓(広島県東広島市)

そがじゅうろうのはか曾我兄弟の兄である十郎祐成の墓と呼ばれるものが山腹にある(墓所)『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.74広島県東広島市 河内町戸野政宗
安芸

観現寺(広島県東広島市)

かんげんじ菖蒲御前が、建久元年(1190年)に源頼政や子の種若丸などを弔うための建立した寺院その後、頼政家臣の猪早太(武人)は勝谷右京と名を変えて長く寺を守り、その墓所が残されている『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.72広島県東...
備北芸北

天下墓(広島県安芸高田市)

てんかばか足利義昭の墓所と称する場所京を追われ、毛利氏(戦国大名)の庇護に入った足利義昭は、さらに毛利氏と不和となった毛利氏の許を去った義昭は、山陰の尼子氏を頼ろうとしたが、この地で病に倒れた義昭はこの地に智教寺を建立して隠棲し、数年後病死...
広島廿日市

吉川千法師と乳母の墓(広島県広島市安佐北区)

きっかわせんほうしとうばのはか吉川興経(戦国武将)が暗殺された時、一緒にいた子の千法師は乳母と共に近くの山で殺された(子女受難)千法師と乳母が殺された場所に墓が建つ(墓所)『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.41広島県広島市安佐北...