祟り

備後

神村八幡神社 八重明神(広島県福山市)

かむらはちまんじんじゃ やえみょうじん神村一帯の領主であった石井又兵衛(地方豪族)に阿良(八重)という側室がいたが、山伏(行者山伏)と懇ろになった(不義密通)怒った又兵衛は、阿良を蛇や百足を入れた箱に首だけ出して閉じ込め、その首を鋸引きさせ...
備後

菅霹靂神社(広島県三原市)

すがへきれきじんじゃ川辺臣(廷臣)が軍船建造のために安芸国へ遣わされ、霹靂(雷神)の木を用材に伐ろうとした反対を押し切って伐ると激しい雷雨に襲われたが、川辺臣は剣を天に向かって上げ、雷神が民を傷つけることを戒めた雷神の祟りを怖れた人々が船材...
広島廿日市

耕中石(広島県大竹市)

こうちゅうせき?三倉岳で、ある盲目の僧侶山を越えようとしたが、里の者が案内しなかったため頂上付近の隠坊池で水死した死んだ僧の怒りで地震が起こり、その祟りを怖れた村人が宮久保神社に三倉大明神を祀ったこの大地震で三倉岳から落ちてきたのが耕中石(...
東三河

奥平仙千代の墓(愛知県新城市)

おくだいらせんちよのはか長篠城主の奥平信昌(戦国武将)の弟・仙千代は武田への降伏の人質となった長篠の戦いの時に、信昌が徳川へ寝返ったため処刑された(子女受難)刑場となった場所では、草一本でも折ると発病や発狂するとされた(祟り)『日本の伝説7...
東三河

▲やすら姫の塚(愛知県新城市)

やすらひめのつか長篠の戦いの時に敗れた武田方の武将の姫を祀る塚とされる毎夕近隣の家に杵と篩(農具)を借りる娘があり、夜ごと杵の音もするため、後を付けてみると塚の前で姿を消した塚を掘ると赤い甕が見つかり、中には人骨が詰まっていたが、蓋を開ける...
東三河

弁天渕の石祠(愛知県設楽町)

べんてんぶちのいしぼこら長篠の戦いで敗走した望月右近太夫(戦国武将)の奥方は、夫の消息を尋ねて三河へ赴いたその途中で奥方は殺され、遺骸は川に投げ棄てられ、その右手(手足)だけがさらに下流に流されてきた(子女受難)腕が流れ着いた集落では凶事が...
東三河

望月様(愛知県東栄町)

もちづきさま長篠の戦いに敗れた武田方の望月右近太夫(戦国武将)は落人狩りに遭って自害した死の間際に、信濃の風が通る峠に葬って欲しいと頼むが、遺骸は放置されたその後、落人狩りに加わった集落に疫病が流行ったため、祟りを怖れて峠(望月峠)に祠を建...
東三河

長沢寺 おくす弁天(愛知県田原市)

ちょうたくじ おくすべんてん猟師の六蔵は大猪と思って撃った獲物が大蛇で、その直後の嵐に驚いてとどめを刺さないまま帰宅した妻に言われて金銀の弾をとどめに撃ち、翌朝蛇の死骸を確認して首を持ち帰ったが、しばらくして病死した六蔵の死後、妻はおくすと...
東三河

▲えれん様(愛知県東栄町)

えれんさま「飛八様」へ至る道をさらに奥へ入った三ツ瀬集落の旧庄屋宅の門前近くにある墓碑(墓所)正月2日、庄屋の家の近くを不審者が歩いているとの知らせを受け、酔った村人が沢まで追いかけて殺した(私刑)不審者は全身毛だらけの大男(異人)であった...
東三河

信玄塚(愛知県新城市)

しんげんづか長篠の戦いで死んだ将兵を埋めた塚とされる“大塚”と呼ばれる方が武田方、“小塚”と呼ばれる方が織田・徳川方の塚とされる塚から蜂の大群が現れて害をなしたため、戦死者の祟りであるとされた祟りを鎮めるため、僧を呼び村人が松明を掲げて供養...