2025-05

東三河

菟足神社(愛知県豊川市)

うたりじんじゃ猪(現在は雀を12羽)生贄として奉納する“風まつり”(祭礼)がおこなわれる“風まつり”を見た国司の大江定基は無常を感じ、後に出家したとされる(『今昔物語』:『宇治拾遺物語』)秦氏が創建に関わり、生贄神事がおこなわれるなどの理由...
東三河

寅蔵の墓(愛知県豊川市)

とらぞうのはか疳の病で若くして死んだ寅蔵という男の墓所死に際して「墓のそばに松の木を植えてくれたら、疳の虫になって病の人を救う」と遺言したその後、松の木の下から虫(昆虫)が湧いてきたので、それを飲ませると疳の病が治った(病気平癒)『日本の伝...
東三河

羽衣の松(愛知県豊川市)

はごろものまつ天女(天人)が羽衣を松の木に掛けて豊川で水浴びをしていたところ、ある男が羽衣を奪い隠した天女は仕方なく男と結婚して男児を成したが、ある時羽衣を見つけて天に帰っていった(羽衣伝説)天女は乳の代わりに片葉の茶の実を残し、男児は成長...
東三河

岩屋観音 観音像(愛知県豊橋市)

いわやかんのん かんのんぞう豊川に架かる吉田大橋の架橋を請け負った江戸の大工の棟梁2名が難工事のために岩屋観音堂に参籠した2人は同時に同じ夢を見て架橋の工法を思い付き、難工事を完成させた(神仏の加護)橋の完成後に2人は浄財を集め、岩屋観音堂...
東三河

岩屋観音(愛知県豊橋市)

いわやかんのん池田氏(大名)はかつて吉田(豊橋)を領地としていて岩屋観音を篤く信仰していた宝永4年(1707年)池田綱政は白須賀宿に滞在中、夢で観音から地震と津波が来ると告げられた(夢告)池田候が急ぎ宿を発ったその直後に地震と津波が起こり、...
東三河

伊良湖神社 磯丸霊神祠(愛知県田原市)

いらごじんじゃ いそまるれいしんほこら無学だった糟谷磯丸(歌人)は30歳半ばで和歌を始め、まじない歌で有名となった死後、まじない歌の効験から神格化され祠が建てられ、現在は伊良湖神社境内に糟谷磯丸旧里の碑(歌碑)と共にある『日本の伝説7 愛知...
東三河

滝頭池(愛知県田原市)

たきがしらいけ近くの村の寡婦が生活苦から他人の薪を盗んでしまったその噂が広まったため、寡婦は子供と共に池に身投げをした(子女受難)池の周辺では、その後“ホイホイ”と鳴きあう鳥が現れ、村人はホイホイ鳥(鳥類)と呼んで母子の生まれ変わりとした『...
東三河

千貫松(愛知県田原市)

せんがんまつ徳川家康の武将・本多広高(戦国武将)が田原城を攻めた時、松の木が邪魔で火矢を思うように放てなかった広高は「千貫の金を出しても、あの木を取り除きたい」と言ったことから名が付いた(田原中都小学校正門横にあるが、現在は案内もなく、松の...
西三河

瀧山寺三門(愛知県岡崎市)

たきさんじさんもん飛騨権守藤原光延という大工の棟梁が建築した門屋根の尾垂木の1本が逆に付けられている(逆柱)ことを老婆に指摘され、光延は恥じてノミを咥えて三門から飛び降りて自害した三門脇にある碑と塚が墓であるとされる一説では、誤りを指摘した...
西三河

縁心寺 砥石地蔵(愛知県西尾市)

えんしんじ といしじぞう中町にあった店で使っていた砥石(石工品)はよく研げるが、研いだ刃物で怪我をする者が多かった店の主人が確かめると砥石の裏側に地蔵が彫り込んであり、祠を建てて祀ると店が繁盛したその後縁心寺に納められ、藩主も信心した『日本...