川越所沢飯能七曲井(埼玉県狭山市) ななまがりのい地面を摺鉢状に穴を掘って造られた古代の井戸で、“ほりかねの井”として歌枕になっている平安中期の歌人・伊勢の和歌に詠まれ、宝暦9年(1759年)に最後の改修がおこなわれていることから、長年使用されていたとされる地上の穴の直径は2... 2025.10.23川越所沢飯能
川越所沢飯能重闢茶場碑(埼玉県入間市) かさねてひらくちゃじょうのひ出雲祝神社境内にある、天保3年(1832年)に建てられた石碑文政2年(1819年)に数百年間廃れていた茶の生産を復活させ、“狭山茶”の名で江戸での商取引が活発となったことを記念して建碑された『日本の伝説18 埼玉... 2025.10.23川越所沢飯能
川越所沢飯能白旗塚(埼玉県所沢市) しろはたづか元弘3年(1333年)、新田義貞が小手指ヶ原で鎌倉幕府軍と戦った(南北朝の戦い)際に、白旗を掲げた塚『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.65日本伝承大鑑:埼玉県所沢市 北野 2025.10.23川越所沢飯能
川越所沢飯能来迎寺 阿弥陀三尊像(埼玉県所沢市) らいごうじ あみださんぞんぞう元は藤原秀衡の持仏であったが、源頼朝が所望したため鎌倉まで運ばせた途中の坂で急に車が動かなくなったので引き返し、この地に留まることになった(創建伝説:車返しの弥陀)ある老夫婦の許へ旅の僧が一夜の宿を求めたが、そ... 2025.10.23川越所沢飯能
川越所沢飯能将軍塚(埼玉県所沢市) しょうぐんづか元弘3年(1333年)、新田義貞が小手指ヶ原から分倍河原の戦い(南北朝の戦い)で幕府軍を破った後、一時滞留していた八国山のこの地に塚を築いて白旗を掲げた現在は八国山緑地内に石碑が残る『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p... 2025.10.23川越所沢飯能
川越所沢飯能長久寺 おしゃびき様(埼玉県所沢市) ちょうきゅうじ おしゃびきさま首が落ちそうなほど咳が止まらなくなった人が奉納した、6体の首なし地蔵咳(喘息)が止まらない時は、地蔵に掛けてある襷(装身具)を借り受けて治し、2つにして返す(特別な奉納)『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店... 2025.10.23川越所沢飯能
川越所沢飯能弘法の三ツ井戸(埼玉県所沢市) こうぼうのみっついどある旅の僧が水を所望したところ、娘が長い時間を掛けて汲んできたので、お礼に3つの地点を示して立ち去った3つの地点を掘ると水が出たため井戸にし(湧水)、旅の僧は空海であるとされた『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p... 2025.10.23川越所沢飯能
川越所沢飯能新光寺(埼玉県所沢市) しんこうじ一匹の狸が寺にやって来ては囲炉裏端で話し込んで、和尚を困らせていたある時、居眠りした狸に和尚が焼け石を股の間に投げ入れると、狸は飛び上がって「あっちいちいの新光寺」と怒って二度と来なくなった(頓智話)『日本の伝説18 埼玉の伝説』... 2025.10.23川越所沢飯能
川越所沢飯能薬王寺 ねずみ薬師(埼玉県所沢市) やくおうじ ねずみやくし南朝の新田義宗(南北朝の武将)が隠れ住んだ終焉の地とされ、本尊の薬師如来(仏像)はその持仏といわれる後に鼠が大繁殖し、新田の怨霊の仕業とされた時、薬王寺の本尊がそれを追い払うとして広く信仰された(鼠除け)『日本の伝説... 2025.10.23川越所沢飯能
川越所沢飯能滝の城址 血の出る松跡(埼玉県所沢市) たきのじょうし ちのでるまつあと滝の城は八王子城と共に落城した際に多くの城兵が死に、松の木の根元に埋められた(落城伝説)戦死者の血を吸ったため、松の木を伐ろうとすると血が出るとされた(血の怪)松の木は昭和47年(1972年)に枯死伐採され、... 2025.10.23川越所沢飯能