2026-02

唐津伊万里

浄泰寺 矢負いの如来(佐賀県唐津市)

じょうたいじ やおいのにょらい領主波多氏の代官が、寺の良田と自分の悪田をこっそり取り替えたが(悪事)、田植えの頃に毎夜苗が踏み荒らされた家来が不寝番をしていると小僧が来て田を荒らしたので、矢を放ったが、姿が消えてしまった泥のついた足跡を追う...
唐津伊万里

近松寺(佐賀県唐津市)

きんしょうじ文禄2年(1593年)に唐津の領主となった寺沢広高(大名)が再興し、その諡号である“近松寺殿”から寺名が採られた(名称の由来)境内に近松門左衛門の遺髪塚(墓所)がある墓石碑文では4世住職の遠室禅師(名僧)の下で学僧として修行した...
唐津伊万里

唐津神社(佐賀県唐津市)

からつじんじゃ三韓征伐の渡航の際に航路が分からなくなったため、神功皇后が住吉三神に祈願して、無事朝鮮へ渡ることが出来た帰還後、皇后は松浦の浜(浜海岸)で鏡を奉納して住吉三神を祀った孝謙天皇の御代(764~770年)に、領主の神田宗次(地方豪...
唐津伊万里

玉鬘古墳(佐賀県唐津市)

たまかずらこふん『源氏物語』(物語・説話)に登場する玉鬘(伝承の女性)にまつわる古墳玉鬘が肥前国松浦の里にあった時に大夫監から求婚され、それを拒むため裏山の洞穴の中に隠れた都に上れるよう鏡神社に祈願へ行く途中、怪我をした白狐を助けた直後に都...
唐津伊万里

恵日寺(佐賀県唐津市)

えにちじ本尊の観音像(仏像)は、大伴狭手彦(豪族)が新羅より持ち帰り、恋仲の松浦佐用姫の死を知り、その菩提を弔うために祀ったとされる初めは赤水に祀られたが、永和元年(1375年)に恵日寺が創建されてから遷されたこの故事より“佐用姫観音”と呼...
唐津伊万里

鏡神社(佐賀県唐津市)

かがみじんじゃ三韓征伐の際、神功皇后は鏡山で戦勝祈願をしたが、その直後から山頂に怪光が現れた帰国後それを聞いた皇后は、山頂に鏡を奉納し、近くに社を建てた(創建伝説:地名の由来)この故事より、一ノ宮に神功皇后が祀られる玄昉(名僧)と吉備真備に...
唐津伊万里

殿原寺(佐賀県唐津市)

でんげんじ川上神社の境内にある小堂松浦佐用姫はこの平原座主に住む長者の娘で、大伴狭手彦(豪族)が朝鮮へ出征したことから患い、この地で病死した姫の死後に長者一族が、この地にあった椿の木を伐って、観音像(仏像)を刻んで奉納した平安時代になってこ...
唐津伊万里

赤水観音/船繋ぎ石(佐賀県唐津市)

あかみずかんのん/ふなつなぎいし朝鮮遠征を終えて戻った大伴狭手彦(豪族)は、鏡山の麓まで船で乗り入れ、近くの石に船を繋いだ(名石:舟繋ぎ伝説)そこで恋仲だった松浦佐用姫が亡くなっていることを知り、すぐさま降り立った場所に堂宇を建てて、持ち帰...
唐津伊万里

佐代姫神社(佐賀県伊万里市)

さよひめじんじゃ松浦佐用姫は、大伴狭手彦(豪族)の乗った船を追って、鏡山を下りて浜崎から船を出したしかし嵐に遭って難破し、遺骸と壺を乗せた小舟がこの地に漂着した村人は高貴な女性と思い丁重に葬ったところ、豊漁が続いたその後佐用姫の身内の者が来...
唐津伊万里

田島神社 望夫石(佐賀県唐津市)

たしまじんじゃ ぼうふせき大伴狭手彦(豪族)の乗った船を追って、松浦佐用姫は玄界灘に面する加部島の高台にたどり着いたしかし船の姿は見えず、佐用姫はその場で嘆き悲しみ、ついには石と化してしまった(化身した石)その石は、田島神社の境内社・佐用姫...