唐津伊万里岸岳(佐賀県唐津市) きしだけ標高320mの山で、別名“鬼子嶽”この山を根城に、里人から“鬼”と怖れられた狐角(木角)という賊徒(盗賊)一味が近隣を荒らし回っていた朝廷は、大江山の鬼退治に功績のあった渡辺綱を父に持つ、肥前国生まれの次男・久(筒井判官久:武人)を... 2026.02.05唐津伊万里
唐津伊万里岸岳城跡(佐賀県唐津市) きしだけじょうあと松浦党の分家・波多氏(武家)が鎌倉時代以降居城としたとされる城波多氏17代の三河守親(ちかし:戦国大名)は豊臣秀吉の不興を買い、文禄2年(1593年)朝鮮の役から帰国直後に軍律違反を理由に帰城を許されず改易となったこの時残... 2026.02.05唐津伊万里
唐津伊万里鵜殿石仏群(佐賀県唐津市) うどのせきぶつぐん大同3年(806年)に唐から戻ってきた空海が立ち寄り、洞穴の岩肌に3対の仏像(磨崖仏)を刻んだのが始まりとされる巨大な洞窟の中にかつて平等寺という寺があったが、天正年間(1573~1592年)の戦(戦国の戦い)で焼け落ち、... 2026.02.05唐津伊万里
唐津伊万里鶴田神社(佐賀県唐津市) つるたじんじゃ祭神の鶴田越前守前(すすむ:戦国武将)は、近くの獅子ヶ城の城主で松浦党の有力武将であったが、天正4年(1576年)に討死した領民の信望が篤く、その死後に墓として五輪塔が建てられた明治時代になって末裔が祭祀するようになり、昭和3... 2026.02.02唐津伊万里
唐津伊万里獅子ヶ城跡(佐賀県唐津市) ししがじょうあと戦国時代に、波多氏の家臣・鶴田越前守前(すすむ:戦国武将)が城を守った龍造寺氏との戦いで包囲され、水の手を断たれかけた時、城を守る久部助左衛門が灰を混ぜた米を馬の背に流しかけ、水があると見せかけ危機を脱した(白米城伝説)この... 2026.02.02唐津伊万里
唐津伊万里室園神社(佐賀県唐津市) むろぞのじんじゃこの神社の御神体は、かつて水害の際に流され、それを一羽の雉が羽に乗せて救い出したお歯黒(化粧品)をつけた女が、その様子を見て「雉に助けられるとは神威の薄い神だ」と嘲笑ったそれ以来、お歯黒をつけた成人女性は参拝してはならぬとし... 2026.02.02唐津伊万里
唐津伊万里女山(佐賀県唐津市) おんなやま標高685mの山で、別名“船山”鈴鹿御前(伝承の女性)の霊が宿るとの説があり、山の姿が髪を結った女の横顔に似ており、山上の岩屋がお歯黒をつけた女の唇の姿に見えるとされるまた山麓の“めずらし岩”や“つつみ石”は鈴鹿御前の宝物を入れた... 2026.02.02唐津伊万里
唐津伊万里松浦佐用姫生誕の地(佐賀県唐津市) まつらさよひめせいたんのちこの周辺は篠原長者の屋敷跡で、その娘である松浦佐用姫の生誕地として石碑が建つ三韓へ兵を出す大伴狭手彦(豪族)がしばらく長者の屋敷に滞在し、その身の回りの世話をした佐用姫と恋仲となったとされる『日本の伝説38 佐賀の... 2026.02.01唐津伊万里
武雄多久小城原巻坂(佐賀県多久市) はばらざか山犬原から多久原へ向かう道筋にある急坂豊臣秀吉が名護屋城へ向かう途中、この坂で腹痛を起こし、布(織布)を腹に巻いてしのいだこのことから腹巻坂と呼ばれ、原巻坂となったとされる(地名の由来)坂の登り口を“茶屋の原”と言い、龍造寺隆信(... 2026.02.01武雄多久小城