ばばのこやしきあと
- 不動山一帯には多くのキリシタンが住んでいたため、寛永の頃(1624~1644年)にキリシタン狩りがおこなわれた
- その時、足手まといになる子供を子捨谷に投げ捨てたあと焼いた場所とされる(子女受難)
- あるいは“子供等の家”という建物があった場所とされる(屋敷跡)
- 明治時代頃まで村人は、この場所にあった塚を“モイシサマ”と呼んで、旧暦11月25日に三角握り飯(料理)を供えて拝んでいた
- “モイシサマ”はポルトガル語の“モコス(子供)”が転訛したものとされる(名称の由来)
『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)p.128
佐賀県嬉野市 嬉野町不動山

