鹿児島霧島

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波之平刀匠 笹貫井戸(鹿児島県鹿児島市)

なみのひらとうしょう ささぬきいど刀匠の波平派が居住し、刀剣作りに使用していた井戸刀匠の波平行安は刀剣の仕上げの場を妻に見られたため、不浄としてその刀剣を藪に捨てたその後刀剣を捨てた竹藪で夜な夜な怪光が見られた落ちてきた笹の葉が刀剣の刃に突...
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涙橋(鹿児島県鹿児島市)

なみだばし刑場へ引き出される囚人を家族が見送った橋ここから先へ同道することが出来ず、家族が涙を流したことから名付けられた(地名の由来)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.42鹿児島県鹿児島市 郡元
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梅ヶ淵(鹿児島県鹿児島市)

うめがふちある殿様に仕えていた梅という侍女が、給仕の際に床板が軋み、放屁したと咎められた(子女受難)梅は無念のあまり甲突川のこの淵に身を投げたことから、梅ヶ淵と呼ばれた(地名の由来)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.42鹿児島...
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俊寛之碑(鹿児島県鹿児島市)

しゅんかんのひ鹿ヶ谷事件で罪を得た俊寛らが、この地にあった堀割(俊寛堀)から舟に乗せられ鬼界島へ流されたとされる現在は石碑のみ立つ『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.40鹿児島県鹿児島市 中町
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千石天神社(鹿児島市鹿児島市)

せんごくてんじんしゃ宝暦年間(1751~1564年)、南泉院(現照国神社付近)の池の蛙が、千石天神社の池の蛙と戦ったお互いの池を行き来して4日間戦った後に和議を結んだが、多くの蛙が死んだ(珍事)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p...
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持明院様(鹿児島県鹿児島市)

じみょういんさあ通称“ジメサア”島津義久(戦国大名)の三女で、島津家久(大名)の正室となった亀寿(持明院)の石像(貴人像)人格は優れていたが、器量が良くなかったため、その死後より石像に化粧する風習が伝わった(化粧する像)石像に化粧すると美人...
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姫宮神社(鹿児島県鹿児島市)

ひめみやじんじゃ開聞にある枚聞神社の姫宮の一人は、足指が2つの不具者であったため、うつろ舟で流された(貴種流離譚)やがて野尻に着いた姫が「水を飲みたい、髪を洗いたい」と言うと水が湧き(湧水)、土地が潤った姫が漂着した9月16日を祭礼の日とす...