唐津伊万里

唐津伊万里

十三塚神社(佐賀県伊万里市)

じゅうさんづかじんじゃ近くにある池ノ峠(または城古岳)に牝の大蛇が棲んでおり、源為朝がその退治を頼まれた為朝が強弓で射抜くと、大蛇はのたうち回ってこの地で息絶えた(化け物退治)大蛇の死骸は13に切り分けられ、それぞれ塚に埋められた昭和11年...
唐津伊万里

山ン寺遺跡(佐賀県伊万里市)

やまんてらいせき久安年間(1145~1150年)に松浦党2代である源直(なおす:地方豪族)がこの地に館を建てて、一族の菩提寺の総持寺を建立した(屋敷跡)朝鮮の役の時、豊臣秀吉が鐘の供出を命じたが拒否したため全山が焼き討ちに遭った(僧兵の出兵...
唐津伊万里

円通寺 お吉観音(佐賀県伊万里市)

えんつうじ おきちかんのん武雄城主・後藤貴明(戦国武将)の娘が婿を取って“お吉”という女児をもうけたが、離縁して伊万里に住み着いた龍造寺隆信の養子・家繁が伊万里城に入り、お吉を見初めて妻としたお吉は家繁の子を宿したが、難産の末亡くなったその...
唐津伊万里

伊萬里神社 戸渡島神社(佐賀県伊万里市)

いまりじんじゃ ととしまじんじゃ香橘神社・戸渡島神社と合祀し、昭和37年(1962年)に伊萬里神社となった足利尊氏が九州へ落ち延びた時に松浦の海で嵐に遭ったが、7羽の白鷺に導かれて伊万里の浦にある戸渡島に漂着できた島にある古社の由来を聞くと...
唐津伊万里

伊萬里神社 香橘神社(佐賀県伊万里市)

いまりじんじゃ こうきつじんじゃ香橘神社・戸渡島神社と合祀し、昭和37年(1962年)に伊萬里神社となった垂仁天皇の命で非時香菓(橘の実:果菜)を得るために中国へ渡った田道間守(廷臣)が船で最初に帰国した地田道間守は岩栗山に登り、その景観を...
唐津伊万里

龍宮神社 もっこ踊り(佐賀県伊万里市)

りゅうぐうじんじゃ もっこおどり唐津藩主・寺沢広高(大名)が干拓を進めるに当たり、潮止め横土井堤(堤防)を造営したが難工事となった堤防完成のために人柱が立てられ、庄屋の某が犠牲となった龍宮神社の“もっこ踊り”は人柱慰霊の祭礼とされ、神官を中...
唐津伊万里

伊萬里神社 岩栗神社(佐賀県伊万里市)

いまりじんじゃ いわくりじんじゃ香橘神社・戸渡島神社と合祀し、昭和37年(1962年)に伊萬里神社となった藤原広嗣の乱(戦乱)に際し、副将として派遣された紀飯麻呂(公家)が、戦勝祈願のため始祖である彦太忍信命を栗の木の下に祀った(創建伝説)...
唐津伊万里

東光寺(佐賀県玄海町)

とうこうじ観音堂に安置されている六手観世音菩薩像(仏像)は、平重盛が父の清盛の冥福を祈るために、自ら刻んで海に投じたものとされる仏像はその後仮屋湾内に流れ着き、漁夫の松右衛門の網にかかり、奉納された『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)...
唐津伊万里

カトリック馬渡島教会(佐賀県唐津市)

かとりっくまだらしまきょうかい御堂天主堂と呼ばれ、昭和4年(1929年)に長崎県平戸紐差から移築された教会(その他建築)寛政年間(1789~1801年)に平戸から有右衛門ら7人のキリシタンが島に潜伏したのがキリスト教のはじまりとされる(起源...
唐津伊万里

馬渡島(佐賀県唐津市)

まだらしま中国から日本に最初に馬が渡ってきた島とされる(起源伝説)牡と牝の2頭の馬がたどり着いた岬は“名馬が鼻”と呼ばれている近江国馬渡を領していた源義俊(源氏)が謀反の罪でこの島に流されたが、故郷を懐かしんで馬渡島と名付けた(地名の由来)...