唐津伊万里

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オビヤ浦(佐賀県唐津市)

おびやうら加唐島の南西部に位置する浜(浜海岸)懐妊中の神功皇后がこの浜に上陸し、着帯の式(行事)をおこなったことから、オビヤ(帯祝い)の名が付いた(地名の由来)雄略天皇5年(461年)に百済からの使者(渡来人)が日本を訪れたが、それに加わっ...
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広沢寺(佐賀県唐津市)

こうたくじ名護屋城内の山里丸跡にある、豊臣秀吉が建立した寺院名護屋城の地を領有していた名護屋経述(戦国武将)の妹で、松浦一の美女と言われて秀吉の側室となった広沢局の名を採って創建された秀吉の死後、広沢局はこの寺で仏門に入り、境内に秀吉の遺髪...
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土器崎/七ツ釜(佐賀県唐津市)

かわらけざき/ななつがま三韓征伐の時、神功皇后の軍勢がこの地で戦勝祈願(あるいは戦勝祝い)をおこない、海神を祀り、神酒をいただいた土器(酒器)を海中に投げた(地名の由来)当地にある“七ツ釜”は、40mの断崖に7つの海蝕洞穴が並んである場所で...
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神集島(佐賀県唐津市)

かしわじま沖合1kmのところにある、周囲約6kmの島三韓征伐の折、神功皇后がこの島に立ち寄り、八百万の神々を集めて戦勝祈願をおこなった(地名の由来)島には、皇后が弓軍を準備した弓張山、応神天皇を産まれた産子山などの伝説地が残る『日本の伝説3...
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湊疫神宮(佐賀県唐津市)

みなとやくじんぐう別名“湊八坂神社”、通称“やくじんさん”三韓征伐に行く途中、神功皇后がこの地に寄ったが、海が荒れて出港できなくなった皇后は榊を立てて祈願し、その後榊を焼いた灰を振って禊ぎをすると海が凪いで出港できたこの故事に従い、旧暦の1...
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法幢寺(佐賀県唐津市)

ほうどうじこの寺の本尊は、元は玉島川の淵そばにあったが、承安2年(1172年)の洪水で堂宇ごと流されてしまった3年後、海中で夜な夜な怪光が発するため、旅僧(僧侶)が読経すると本尊があることが分かり、引き揚げられたこの仏像は空海作とされ、唐か...
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衣干山(佐賀県唐津市)

きぬぼしやま標高163mの山松浦佐用姫が大伴狭手彦(豪族)の乗った船を追って鏡山から駆け下りた時、松浦川(河川)に飛び込んでしまったその濡れた衣類を干して乾かした山とされる(地名の由来)あるいは涙で濡れた衣類を乾かしたともまた別説では、三韓...
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浄泰寺 安田作兵衛の墓(佐賀県唐津市)

じょうたいじ やすださくべえのはか本能寺の変(謀反)で織田信長に一番槍をつけたとされる、安田作兵衛国継(戦国武将)の墓所旧友の寺沢広高といずれかが出世したら禄高の十分の一で召し抱えるとの約束をしており、広高が唐津の大名となったため、家臣とな...
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浄泰寺 矢負いの如来(佐賀県唐津市)

じょうたいじ やおいのにょらい領主波多氏の代官が、寺の良田と自分の悪田をこっそり取り替えたが(悪事)、田植えの頃に毎夜苗が踏み荒らされた家来が不寝番をしていると小僧が来て田を荒らしたので、矢を放ったが、姿が消えてしまった泥のついた足跡を追う...
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近松寺(佐賀県唐津市)

きんしょうじ文禄2年(1593年)に唐津の領主となった寺沢広高(大名)が再興し、その諡号である“近松寺殿”から寺名が採られた(名称の由来)境内に近松門左衛門の遺髪塚(墓所)がある墓石碑文では4世住職の遠室禅師(名僧)の下で学僧として修行した...