武雄多久小城

武雄多久小城

黒髪山 夫婦岩(佐賀県武雄市)

くろかみやま めおといわ谷を挟んで右が雄岩、左が雌岩とされる夫婦岩この地に流れてきた新三郎と、庄屋の娘のお君はお互い惹かれあって恋仲となったしかし新三郎がキリシタンであることが露見したため黒髪山へ逃げ込み、それを追ってお君も山に入った(ある...
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泣きびすさん(佐賀県鹿島市)

なきびすさん文明9年(1477年)大村日向守家親の居城であった蟻尾城は落城し、家親の妻(あるいは乳母)は赤子を連れて落ち延びた(落城伝説)追っ手をやり過ごそうとした時、突然赤子が泣き出したため、捕まることを潔しとせず妻は赤子を刺し、自らも自...
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嬉野の大茶樹(佐賀県嬉野市)

うれしののだいちゃじゅ樹高約5m、樹齢約350年の茶の大樹慶安年間(1648~1652年)に白石から移り住んだ吉村親兵衛(名士)が植えた茶樹の1本であるとされる親兵衛は慶安3年(1650年)に死一等減じられて以来、茶業を志して植樹・製茶法を...
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異教徒塚(佐賀県嬉野市)

いきょうとづか以前は“外道宗塚跡”と呼ばれていた不動山一帯には多くのキリシタンが住んでおり、この地は教会と墓地があったあったとされるかつてこの地から釘が打ち込まれた頭蓋骨が複数見つかったが、異教徒は埋葬の際に頭に釘を打ち込むとの口碑(死の俗...
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馬場之子屋敷跡(佐賀県嬉野市)

ばばのこやしきあと不動山一帯には多くのキリシタンが住んでいたため、寛永の頃(1624~1644年)にキリシタン狩りがおこなわれたその時、足手まといになる子供を子捨谷に投げ捨てたあと焼いた場所とされる(子女受難)あるいは“子供等の家”という建...
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子捨谷史跡(佐賀県嬉野市)

こすてだにしせき不動山一帯には多くのキリシタンが住んでいたため、寛永の頃(1624~1644年)にキリシタン狩りがおこなわれたその時、足手まといになる子供を投げ捨てたとされる谷(子女受難)別名“幸助谷(こうすけだに)”とも呼ばれる『日本の伝...
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心月妙泉尼之碑(佐賀県嬉野市)

しんげつみょうせんにのひ寛永の頃(1624~1644年)、不動山周辺でおこなわれたキリシタン狩りの中で、赤子を背負った一人の女が捕吏によって斬られた(子女受難)女は絶命する直前に念仏を唱えたため、キリシタンではなかったことが分かり、憐れんだ...
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嬉野温泉(佐賀県嬉野市)

うれしのおんせん三韓征伐の帰途、神功皇后は佐世保あたりから上陸し、この地へ立ち寄った川中に湯が湧いており、鶴が脚を浸して傷を治しているのを見て、傷を負った兵士にも温泉に浸かるよう勧めた兵の傷が癒やされるのを見て皇后が「あな、うれしの」と言っ...
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船ノ原鎮守神社 かんこ踊(佐賀県武雄市)

ふねのはらちんじゅじんじゃ かんこおどり船ノ原鎮守神社の祭礼でおこなわれる踊り壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人が、この船ノ原地区に落ち延びて土着したある時平維盛の孫・六之助が酒に酔った勢いで、都にあった時に習った歌や踊りで無聊を慰めたことから...
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磐井八幡社/正一位神社/松尾神社 荒踊(佐賀県武雄市)

いわいはちまんしゃ/しょういちいじんじゃ/まつおじんじゃ あらおどり大小二本差し(刀剣)の男達が歌に合わせて踊る、武雄市内の3社の祭礼でおこなわれる踊り永禄6年(1560年)に武雄の領主・後藤貴明(戦国武将)が、有馬氏の招きで島原に赴いた有...