武雄多久小城

武雄多久小城

梶峯城跡(佐賀県多久市)

かじみねじょうあと鎌倉時代以降、多久氏(武家)の居城であったことから、“多久城”とも呼ばれる主郭部分が南北に延びて雄城と雌城に分かれているが、その中央に直径5mあまりの穴(洞穴)があるこの穴は城の南方に抜ける地下道の入口とされ、そこから兵糧...
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西ノ原大明神(佐賀県多久市)

にしのはるだいみょうじん佐賀藩多久7代邑主・多久茂堯(大名一門)の娘・林姫(姫君)を祀る神社明和3年(1766年)、父・茂堯が江戸詰で留守の際、家臣の相浦善右衛門と密通に及び、林姫は懐妊してしまう(醜聞)報告を受けた父は、姫に自害、善右衛門...
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専称寺 核割れ梅(佐賀県多久市)

せんしょうじ さねわれうめ明応6年(1497年)に少弐政資(戦国大名)は大内氏に敗れ退却し、さらに多久氏の離反により、専称寺で自害した自害の直前、腰に付けた梅干し(食品食材)を口にし、種を噛み砕いて地面に捨てたその後捨てた種から梅の木が生長...
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鬼の鼻山(佐賀県多久市)

おにのはなやま標高435mの山東の山頂が額に、西の山頂が鼻に見えることから名が付いた(地名の由来)このあたりを荒らし回っていた鬼は「日本一の山を築きたい」と願っていて、天山の神は「一夜で山が造れたら村を差し出す」と約束した鬼は一夜で山を築こ...
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高野神社 矢の根石(佐賀県多久市)

たかのじんじゃ やのねいし境内にある六地蔵塔(石塔)の竿石に、直径1.5cmの鉄鏃(矢尻)が射込まれている源為朝が黒髪山の大蛇を退治した際、鬼の鼻山から矢を放ったところ、大蛇に当たったが刺さらず、跳ね返ってこの石に突き刺さった矢尻の部分が抜...
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竹崎観世音寺(佐賀県太良町)

たけざきかんぜおんじ行基が竹崎島に創建したとされる古刹1月5日に、竹崎島の東にある夜灯鼻沖にいる鬼と、竹崎観音に安置された箱(箱類)の中にいる鬼の夫婦が再会すると、竹崎島が沈むとされる(終末の俗信)それを阻止するための“修正会鬼祭”という祭...
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鬼の岩屋(佐賀県太良町)

おにのいわや多良岳山頂付近にある、巨石が積み重なって出来たもの多良岳に鬼が棲んでおり、麓に下りては悪さばかりするので太良嶽明神が戒めたが、全く改心しなかったある時鬼が岩屋を造りたいと言い出したので、明神は一晩で造れたら許すとした鬼があと一息...
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多良岳(佐賀県太良町)

たらだけ標高988mの山で、山頂に太良嶽神社上宮があるかつて太良嶽神社の神が海を渡ってこの地に来た時、船が沈みそうになり、海老(甲殻類)に助けてもらったこの故事から、地元の者は多良岳に登る時は海老を食べてはいけないとされる(禁忌)『日本の伝...
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沖ノ島(佐賀県太良町)

おきのしま有明海の沖合5.5kmにある、有明海唯一の島・岩礁(干潮時のみ出現)江戸時代に、有明海一帯が旱魃に襲われた時、“おしま”という娘が雨を降らすために自ら海に身を投げた(雨乞い伝説:人身御供)おしまの遺体が沖ノ島に流れ着くと、雨が降り...
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鮒越堤(佐賀県鹿島市)

ふなごえづつみ巨人の“みそ五郎どん”がこのあたりに棲んでおり、雲仙岳に腰を掛けて、有明海で顔を洗ったなどの伝説を残す周辺の山々はみそ五郎どんが土を掘って投げて出来たものとされ、その時に踏ん張って出来た足跡が鮒越堤(池)となったとされる(地形...