武雄多久小城

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祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)

ゆうとくいなりじんじゃ花山院萬子媛(姫君)が、肥前鹿島藩主・鍋島直朝(大名)に嫁ぐ時に伏見稲荷大社の分霊を授かった貞享4年(1687年)に萬子媛は石壁山に分霊を祀る社殿を建て、自らその地で神仏への奉仕を始めた(創建伝説)宝永2年(1705年...
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和泉式部宝篋印塔(佐賀県嬉野市)

いずみしきぶほうきょういんとう和泉式部の墓と伝わる宝篋印塔塩田の長者の大黒丸夫婦は子がないため、福泉禅寺に子授の祈願をおこなったところ、裏山に鹿が生んだ女児がいたので我が子として育てた(生誕伝説)女児は9歳になるまで長者の許で育てられ、その...
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常在寺 平敦盛供養塔(佐賀県嬉野市)

じょうざいじ たいらのあつもりくようとう7世住職の成紹法印(名僧)が京へ上る途中、摂津国一の谷の古戦場を通りがかると、死屍累々の状態であったため供養の読経をした寺に帰ると、一の谷の戦いで討死した平敦盛(平氏)の幽霊が現れ、修羅道の苦しみを訴...
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維盛社(佐賀県嬉野市)

これもりしゃ肥前国へ落ち延びた平維盛(平氏)は、途中乗ってきた牛が倒れたこの地に定住した村人は草庵に住む維盛に食事などを運んだが、ひらくち(蝮:蛇)出て難儀したため、維盛が全て退治した後年、維盛の末裔の辻氏が社を建てたが、その境内の砂を撒く...
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福泉禅寺 幽霊の掛け軸(佐賀県白石町)

ふくせんぜんじ ゆうれいのかけじく江戸時代、福泉禅寺住職が静岡の宿に泊まった時に幽霊の掛け軸を見かけ、その縁起を宿の主人に尋ねた幽霊の正体は先妻で、2人の男児を残して急死したため後妻をもらったが、子が後妻に懐かずぐれてしまったぐれた子の前に...
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福泉禅寺(佐賀県白石町)

ふくせんぜんじ和泉式部の生誕地とされ、裏山に住む鹿の子として生まれたとされる(生誕伝説)泣き声が聞こえるので探ると、赤子が白鹿の乳を飲んでおり、それが後年の和泉式部とされる式部が故郷を思って詠んだ和歌「ふるさとに 帰る衣の 色朽ちて 錦の浦...
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稲佐神社(佐賀県白石町)

いなさじんじゃ祭神の五十猛命(記紀神話の神)は父神・素戔嗚尊と共に新羅から九州へ移る際、樹の種を全て持ってきて植えた五十猛命が最初に降り立った場所が、杵島山の北嶺の勇猛山とされる百済の王子・阿佐太子(渡来人)は朝貢後にこの地に滞在して稲佐神...
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杵島山(佐賀県白石町)

きしまやま常陸の筑波山、摂津の歌垣山と共に“日本三大歌垣”として知られる山歌垣は、春と秋に若い男女が集まって飲食しながら歌を詠み合う、求愛の行事歌垣公園には、『万葉集』の「あられふる 杵島が岳を 険しみと 草とりかねて 妹が手をとる」の和歌...
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水堂さん(佐賀県白石町)

みずどうさん正式名称は水堂安福寺天平時代、ある猟師が白鹿に矢を放ったところ鹿が金色に輝き、後を追うと矢の刺さった観音石像を見つけた猟師はその場で出家して観音を祀ったが、その矢の痕から霊水が湧き出てきた(湧水:創建伝説)水は例年旧暦の4月15...
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六角の泣仏地蔵(佐賀県白石町)

ろっかくのなきびす?じぞう生活苦で母親に捨てられた赤子が、乳を求めて泣きながら死んでしまった(子女受難)ある者がその赤子の供養に地蔵を建て、この地蔵に乳を供えると乳が出るようになるとされた(授乳の俗信)また乳を地蔵に掛けると、目から涙を流し...