弁天渕の石祠(愛知県設楽町) 2025.05.142025.05.23東三河祟り手足戦国武将長篠の戦い子女受難べんてんぶちのいしぼこら長篠の戦いで敗走した望月右近太夫(戦国武将)の奥方は、夫の消息を尋ねて三河へ赴いたその途中で奥方は殺され、遺骸は川に投げ棄てられ、その右手(手足)だけがさらに下流に流されてきた(子女受難)腕が流れ着いた集落では凶事が続いたため、弁天様の祠を建てて祟りを鎮めた『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.225・239愛知県設楽町 神田東