土地

七尾羽咋

行者ヶ端(石川県七尾市)

ぎょうじゃがはな泰澄の弟子の臥行者(仙人)が寝そべりながら修行をしていた叢林臥行者はこの地から鉢を飛ばして、行き交う船から米を布施として受け取っていた(飛鉢伝説)臥行者が寝そべって修行していた場所から“閨(ねや)”の地名となった(地名の由来...
七尾羽咋

唐戸山(石川県羽咋市)

からとやま石衝別命(親王)の陵墓を造るために土を掘り取った山の跡地で、すり鉢状の凹地になっており、その底部分に土俵がある命が相撲好きであったことから、羽咋神社の神事(祭礼)として命の命日に“唐戸山神事相撲”が奉納される『日本の伝説12 加賀...
加賀小松

法皇ヶ丘(石川県小松市)

ほうおうがおか遺言によって花山院が葬られたとされる丘陵墓のそばに菩提寺という寺院があったことから菩提町という町名となった(地名の由来)『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.64石川県小松市 菩提町
三次庄原

千日風呂伝説地(広島県安芸高田市)

せんにちぶろでんせつち光明皇后はこの地に浴場(風呂)を建て、1000日間病身の者の世話をおこなった満願前日に全身膿に爛れた病者が来たが、皇后は口で膿を吸い出して世話をした翌日病者が死ぬとその身体は金塊(宝物)になったため、それを使って7つの...
一宮小牧瀬戸

小野道風誕生伝説地(愛知県春日井市)

おののとうふうたんじょうでんせつち小野篁の孫の小野葛絃がこの地に滞在中、土地の娘との間に出来たのが小野道風であるとされる道風は10歳頃までこの地で成長し、その後父と共に京へ上った生誕地は現在公園化され、書を集めた道風記念館がある『日本の伝説...
館山南房総

デーデッポの足跡(千葉県鋸南町)

でえでっぽのあしあと富士山に座って東京湾で顔を洗っていた巨人が、安房国へ移動して上総国へ抜けていった時につけた足跡かつては窪地の田んぼとして使われていたが、現在は荒れ地となっている(地形の由来)『日本の伝説6 房総の伝説』(角川書店)p.8...
東金九十九里

お万布ざらし(千葉県勝浦市)

おまんぬのざらし八幡岬公園内にある天正18年(1590年)に正木頼忠の勝浦城が落城した際、幼い姫らは断崖に白布(織布)を垂らしてそれを伝い下りて難を逃れた(落城伝説)姫は後に徳川家康の側室・お万の方となった『日本の伝説6 房総の伝説』(角川...
東金九十九里

おせんころがし(千葉県勝浦市)

おせんころがし強欲な領主が年貢率を上げたため領民がこれを襲い断崖に投げ落としたが、領主の娘が身代わりになっていた(孝子)領主の求愛を拒んだ娘に代わって父親を簀巻きにして断崖から投げ落としたが、娘がすり替わっていた(子女受難)継母が継子に断崖...
佐倉成田銚子

正覚寺(千葉県多古町)

しょうかくじ日蓮宗不受不施派の寺院江戸幕府から禁じられた教えであったため3度の法難に遭っている集落全員が不受不施派の檀家であり、追っ手から逃げるために、迷路の道や隠し部屋のある住居が並ぶ町並みとなっている『日本の伝説6 房総の伝説』(角川書...
東金九十九里

成田山御本尊上陸地(千葉県横芝光町)

なりたさんごほんぞんじょうりくち平将門調伏のために寛朝僧正(名僧)が不動明王像を奉じ、天慶2年(939年)に船で上陸した地乱の平定後、不動明王像は成田山新勝寺の本尊となった(創建伝説)昭和35年(1960年)に記念碑が造られ、不動明王像など...