福山尾道三原

南宮神社(広島県府中市)

なんぐうじんじゃ大同2年(803年)の創建で、祭神として孝霊天皇を祀り、隣接する神宮寺の裏手に孝霊塚と呼ばれる陵墓がある吉備津神社が一之宮となる以前の一之宮であったとされる『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.100広島県府中市 栗...
福山尾道三原

イコーカ山古墳 宝篋印塔(広島県福山市)

いこーかやまこふん ほうきょういんとう直径10mの円墳で、二重の円筒埴輪列がある古墳の西側にある宝篋印塔は室町時代の作で、足利義昭の墓(墓所)であると言われる近くの池の埋め立てに失敗した池奉行(藩士)がこの古墳の上で自決し、その墓とも言われ...
呉竹原東広島

音戸の瀬戸/清盛塚(広島県呉市)

おんどのせと/きよもりづか平清盛が開削したとされる海峡人柱の代わりに一字一石の経石を海中に埋め、その上に石塔を建てて塚とした(清盛塚)日没近くになっても開削工事は終わらないため、清盛が扇で太陽を呼び戻した(日招き伝説)この行為が、清盛が熱病...
三次庄原

吉川興経の首塚(広島県北広島町)

きっかわおきつねのくびづか常仙寺跡に残る首塚吉川興経(戦国武将)は幽閉先で暗殺されたが、その首を愛犬がこの地までくわえて持ってきた首塚のそばには、この場で死んだ犬を供養するための犬塚もある犬が息絶えた時に興経の首級が転がり落ちたため、首塚よ...
豊橋豊川新城

七人塚(愛知県新城市)

しちにんづか長篠の戦いで敗れた武田方の落人7名がこの地まで逃げて来たが、これ以上逃げ切れないと悟り自刃した(あるいは村人によって殺害されたとも)塚には7本の刀(刀剣)と7つの土器が埋められているとされる現在は民家の庭先に小祠がある『日本の伝...
豊橋豊川新城

▲やすら姫の塚(愛知県新城市)

やすらひめのつか長篠の戦いの時に敗れた武田方の武将の姫を祀る塚とされる毎夕近隣の家に杵と篩(農具)を借りる娘があり、夜ごと杵の音もするため、後を付けてみると塚の前で姿を消した塚を掘ると赤い甕が見つかり、中には人骨が詰まっていたが、蓋を開ける...
津島常滑知多

今川塚(愛知県東海市)

いまがわづか通称「今川さん」桶狭間の戦いで討死した今川義元の遺体を家臣がここまで運び、寺に葬った(寺は現存せず)塚には供養塔と“今川義基墳”と刻まれた石碑があるが、“義元”であることを隠すための“誤字”とされる家臣達はその後もこの地に留まり...
豊橋豊川新城

左兵衛塚/神明社(愛知県設楽町)

さひょうえづか/しんめいしゃ土地の豪族であった後藤高春が伊勢国の二見浦でいただいた石(霊石)が、神明社の御神体であったある時、明石左兵衛という浪人が捕り方に追われ(罪人)、この神明社の社殿に逃げ込んだ左兵衛にに気付いた庄屋が鉄砲(鉄砲火薬)...
豊橋豊川新城

信玄塚(愛知県新城市)

しんげんづか長篠の戦いで死んだ将兵を埋めた塚とされる“大塚”と呼ばれる方が武田方、“小塚”と呼ばれる方が織田・徳川方の塚とされる塚から蜂の大群が現れて害をなしたため、戦死者の祟りであるとされた祟りを鎮めるため、僧を呼び村人が松明を掲げて供養...
豊橋豊川新城

金時塚(愛知県豊川市)

きんときづか坂田金時の墓所とされる東国へ朝敵征伐へ行った折にこの地を立ち寄り、その縁で晩年を過ごし、死後に墓が造られた『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.96日本伝承大鑑:愛知県豊川市 平井町