唐津伊万里

駒鳴峠(佐賀県伊万里市)

こまなきとうげ黒髪山の大蛇を退治した源為朝は、その鱗を都に献上しようと馬に運ばせた途中の峠の上り道で、あまりの重さに馬がいなないたことが“駒鳴”の地名の由来となったこの峠に“駒石”という名の、馬の形に似た石があり、夜な夜ないなないた(夜泣き...
武雄多久小城

原巻坂(佐賀県多久市)

はばらざか山犬原から多久原へ向かう道筋にある急坂豊臣秀吉が名護屋城へ向かう途中、この坂で腹痛を起こし、布(織布)を腹に巻いてしのいだこのことから腹巻坂と呼ばれ、原巻坂となったとされる(地名の由来)坂の登り口を“茶屋の原”と言い、龍造寺隆信(...
武雄多久小城

女山峠(佐賀県多久市)

おんなやまとうげ借金の形に父親に売り飛ばされたおつるは遊女となり、子を孕んだために店を逃げ出して、峠を根城にして盗賊となった子を育てながら盗賊を続け、最後の仕事として老人を襲ったが、それは実の父親であった「殺されても良い」と言う父におつるが...
武雄多久小城

柴折峠(佐賀県多久市)

しばおりとうげ別名・志久峠天正元年(1573年)龍造寺隆信(戦国大名)と後藤貴明(戦国武将)が戦い、後藤方が志久峠近くに陣を構えた龍造寺方が野田與七郎、後藤方が岩永八郎右衛門を斥候に出したが、峠で遭遇して與七郎が討ち取られた與七郎の遺骸はし...
高崎安中富岡

投石峠(群馬県神流町)

なげいしとうげ西御荷鉾山と東御荷鉾山の間にある峠空海によって退治された鬼が、武器として使っていた石棒(武具)をここから投げ放った(投げ石:地名の由来)石棒が落ちた場所は“鬼石”という地名となった『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p....
前橋伊勢崎

ヤセオネ峠(群馬県渋川市)

やせおねとうげ榛名富士と榛名湖の領有権を争って、榛名の神と伊香保の神(その他の神々)が戦った先に山頂に登った榛名の神が勝ち、敗れた伊香保の神は帰る途中のこの峠で息を引き取った『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.105群馬県渋川市 ...
沼田草津

万騎峠(群馬県東吾妻町)

まんきとうげ浅間から那須野へ巻き狩りへ向かう途中、源頼朝が1万の軍勢を揃えてこの峠を越えた(地名の由来)近隣の夜盗と区別するため勢子の額に“卍”を書かせて峠を越えたことから「万字峠」とも呼ばれるまた引き上げた後に全員の顔を洗わせ、頼朝が「素...
前橋伊勢崎

綾戸穴道(群馬県渋川市)

あやどあなみち弘化3年(1846年)より金剛院住職・江舟(名僧)らによって掘削された隧道(洞門隧道)現在は国道17号線の拡幅工事によってほとんどが失われている『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.54群馬県渋川市 上白井
桐生太田館林

駒ころばし峠 十三塚(群馬県桐生市)

こまころばしとうげ じゅうさんづか天正元年(1573年)、佐野から桐生氏の援軍13騎がやって来たが、途中の峠で城が落ちたことが分かった一同は乗っていた馬を谷底へ落とし、全員が腹を切って果てた(落城伝説)援軍の兵の亡骸はその地に埋葬され、十三...
指宿枕崎日置

手蓑峠(鹿児島県南九州市)

てみのとうげ知覧の領主から急ぎの手紙(文書)を預かった藩士が峠を越える途中でにわか雨に遭った峠に生える茅で蓑(雨具)を作って手紙を濡らさずに済ませたので、領主が手蓑峠の名を付けた(地名の由来)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p....