寺院

唐津伊万里

東光寺(佐賀県玄海町)

とうこうじ観音堂に安置されている六手観世音菩薩像(仏像)は、平重盛が父の清盛の冥福を祈るために、自ら刻んで海に投じたものとされる仏像はその後仮屋湾内に流れ着き、漁夫の松右衛門の網にかかり、奉納された『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)...
唐津伊万里

広沢寺(佐賀県唐津市)

こうたくじ名護屋城内の山里丸跡にある、豊臣秀吉が建立した寺院名護屋城の地を領有していた名護屋経述(戦国武将)の妹で、松浦一の美女と言われて秀吉の側室となった広沢局の名を採って創建された秀吉の死後、広沢局はこの寺で仏門に入り、境内に秀吉の遺髪...
唐津伊万里

法幢寺(佐賀県唐津市)

ほうどうじこの寺の本尊は、元は玉島川の淵そばにあったが、承安2年(1172年)の洪水で堂宇ごと流されてしまった3年後、海中で夜な夜な怪光が発するため、旅僧(僧侶)が読経すると本尊があることが分かり、引き揚げられたこの仏像は空海作とされ、唐か...
唐津伊万里

近松寺(佐賀県唐津市)

きんしょうじ文禄2年(1593年)に唐津の領主となった寺沢広高(大名)が再興し、その諡号である“近松寺殿”から寺名が採られた(名称の由来)境内に近松門左衛門の遺髪塚(墓所)がある墓石碑文では4世住職の遠室禅師(名僧)の下で学僧として修行した...
唐津伊万里

恵日寺(佐賀県唐津市)

えにちじ本尊の観音像(仏像)は、大伴狭手彦(豪族)が新羅より持ち帰り、恋仲の松浦佐用姫の死を知り、その菩提を弔うために祀ったとされる初めは赤水に祀られたが、永和元年(1375年)に恵日寺が創建されてから遷されたこの故事より“佐用姫観音”と呼...
唐津伊万里

心月寺(佐賀県唐津市)

しんげつじ波多氏17代の親(ちかし:戦国大名)は、龍造寺氏と和睦の証として、妻と離縁して龍造寺隆信の養女を後妻とした離縁された妻は城を出て出家し、心月尼(尼僧)と名乗って隠棲した心月尼はまもなく病死し、隠棲した庵の跡に心月寺が建てられた(創...
武雄多久小城

西ノ原大明神(佐賀県多久市)

にしのはるだいみょうじん佐賀藩多久7代邑主・多久茂堯(大名一門)の娘・林姫(姫君)を祀る神社明和3年(1766年)、父・茂堯が江戸詰で留守の際、家臣の相浦善右衛門と密通に及び、林姫は懐妊してしまう(醜聞)報告を受けた父は、姫に自害、善右衛門...
武雄多久小城

竹崎観世音寺(佐賀県太良町)

たけざきかんぜおんじ行基が竹崎島に創建したとされる古刹1月5日に、竹崎島の東にある夜灯鼻沖にいる鬼と、竹崎観音に安置された箱(箱類)の中にいる鬼の夫婦が再会すると、竹崎島が沈むとされる(終末の俗信)それを阻止するための“修正会鬼祭”という祭...
島原大村諫早

金泉寺(長崎県諫早市)

きんせんじ文化文政時代(1804~1830年)、多良岳山頂付近にある金泉寺の寺侍に“岳の新太郎”という美男子がいた若い娘はその美貌に惚れて会いたいと願うが、金泉寺が女人禁制であるためみることが叶わなかった(珍事)その娘たちの慕情を歌にしたの...
武雄多久小城

福泉禅寺(佐賀県白石町)

ふくせんぜんじ和泉式部の生誕地とされ、裏山に住む鹿の子として生まれたとされる(生誕伝説)泣き声が聞こえるので探ると、赤子が白鹿の乳を飲んでおり、それが後年の和泉式部とされる式部が故郷を思って詠んだ和歌「ふるさとに 帰る衣の 色朽ちて 錦の浦...