仏像

佐賀鳥栖

お辰観音(佐賀県佐賀市)

おたつかんのん金立山で不老不死の仙薬(薬草)を探す徐福は、千布の源蔵の家に逗留し、源蔵の娘・お辰が身の回りの世話をした徐福とお辰は相思相愛となったが、仙薬発見に多忙を極めたために次第に会う機会がなくなったそのうちお辰は重篤な病を得るが、最期...
武雄多久小城

川古の大楠(佐賀県武雄市)

かわごのおおくす樹高25m、幹周り21m、樹齢3000年とされる楠の木この地を訪れた行基が、幹の部分に高さ2.4mの観音像(仏像)を刻んだ明治の廃仏毀釈の際に観音像は削り取られ、その後その輪郭も剥落している削り取った際、頭部に当たる箇所から...
唐津伊万里

円通寺 お吉観音(佐賀県伊万里市)

えんつうじ おきちかんのん武雄城主・後藤貴明(戦国武将)の娘が婿を取って“お吉”という女児をもうけたが、離縁して伊万里に住み着いた龍造寺隆信の養子・家繁が伊万里城に入り、お吉を見初めて妻としたお吉は家繁の子を宿したが、難産の末亡くなったその...
唐津伊万里

東光寺(佐賀県玄海町)

とうこうじ観音堂に安置されている六手観世音菩薩像(仏像)は、平重盛が父の清盛の冥福を祈るために、自ら刻んで海に投じたものとされる仏像はその後仮屋湾内に流れ着き、漁夫の松右衛門の網にかかり、奉納された『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)...
唐津伊万里

法幢寺(佐賀県唐津市)

ほうどうじこの寺の本尊は、元は玉島川の淵そばにあったが、承安2年(1172年)の洪水で堂宇ごと流されてしまった3年後、海中で夜な夜な怪光が発するため、旅僧(僧侶)が読経すると本尊があることが分かり、引き揚げられたこの仏像は空海作とされ、唐か...
唐津伊万里

浄泰寺 矢負いの如来(佐賀県唐津市)

じょうたいじ やおいのにょらい領主波多氏の代官が、寺の良田と自分の悪田をこっそり取り替えたが(悪事)、田植えの頃に毎夜苗が踏み荒らされた家来が不寝番をしていると小僧が来て田を荒らしたので、矢を放ったが、姿が消えてしまった泥のついた足跡を追う...
唐津伊万里

恵日寺(佐賀県唐津市)

えにちじ本尊の観音像(仏像)は、大伴狭手彦(豪族)が新羅より持ち帰り、恋仲の松浦佐用姫の死を知り、その菩提を弔うために祀ったとされる初めは赤水に祀られたが、永和元年(1375年)に恵日寺が創建されてから遷されたこの故事より“佐用姫観音”と呼...
唐津伊万里

殿原寺(佐賀県唐津市)

でんげんじ川上神社の境内にある小堂松浦佐用姫はこの平原座主に住む長者の娘で、大伴狭手彦(豪族)が朝鮮へ出征したことから患い、この地で病死した姫の死後に長者一族が、この地にあった椿の木を伐って、観音像(仏像)を刻んで奉納した平安時代になってこ...
唐津伊万里

赤水観音/船繋ぎ石(佐賀県唐津市)

あかみずかんのん/ふなつなぎいし朝鮮遠征を終えて戻った大伴狭手彦(豪族)は、鏡山の麓まで船で乗り入れ、近くの石に船を繋いだ(名石:舟繋ぎ伝説)そこで恋仲だった松浦佐用姫が亡くなっていることを知り、すぐさま降り立った場所に堂宇を建てて、持ち帰...
生駒葛城

観音寺 矢除身替観音(奈良県香芝市)

かんのんじ やよけみがわりかんのん楠木正成が赤坂城落城の際に落ち延び、ここで休息している時に左脇を矢で射抜かれた(落城伝説)しかし矢は観音寺の御札に当たって、正成は無傷であった(神仏の加護)観音寺へ行くと、本尊の十一面観音像(仏像)の左脇か...