広島廿日市岩谷寺(広島県広島市東区) いわやじ神武東征の途中、神武天皇がこの山に登ったことから、天皇の名である“イワレヒコ”から“岩谷山”の名がついた(地名の由来)甲斐国の近藤三郎左衛門(武人)が廻国中、伊勢の海で網に掛かった観音像(仏像)をこの地に安置したのが始まり(創建伝説... 2025.05.24広島廿日市
広島廿日市楊柳観音堂(広島県広島市安佐南区) ようりゅうかんのんどう弘安6年(1283年)に武田信隆(武家)が甲斐国から安芸国へ赴任した時、地元に残してきた仏像近江国の絹川に来た時、馬の尾に何かが食いついているのに気付くと、それは残してきたはずの仏像だった現在は六角堂を模したお堂に安置... 2025.05.23広島廿日市
広島廿日市極楽寺 涙流しの観音(広島県廿日市市) ごくらくじ なみだながしのかんのん本尊の十一面観音像(仏像)は、両目から顎にかけて木目が目立つため、涙を流しているように見えるある者がこの観音から大力を授かると、さらに大力を願ったため、人間の欲深さに涙を流したとされる(泣く物:怪力伝説)『... 2025.05.22広島廿日市
名古屋長福寺(愛知県名古屋市緑区) ちょうふくじ境内で、桶狭間の戦い後の首実検が行われ(林阿弥の首検証跡)、供養の杉の木が立つ後に義元の茶坊主・林阿弥が再訪し、その時持参の阿弥陀如来像(仏像)が本尊となった境内の放生池は“血刀濯ぎの池”と呼ばれ、戦いの後の刀剣に付いた血を洗っ... 2025.05.13名古屋
津島常滑知多常福寺(愛知県大府市) じょうふくじ平家滅亡後に平景清がこの地に隠棲し、建久年間(1190~1199年)に建立した寺院(その死後に創建されたとの説もあり)この地で半月掛かって仏像を彫ったことから、半月という地名となった(地名の由来)『日本の伝説7 愛知の伝説』(角... 2025.05.13津島常滑知多
豊橋豊川新城岩屋観音 観音像(愛知県豊橋市) いわやかんのん かんのんぞう豊川に架かる吉田大橋の架橋を請け負った江戸の大工の棟梁2名が難工事のために岩屋観音堂に参籠した2人は同時に同じ夢を見て架橋の工法を思い付き、難工事を完成させた(夢告:神仏の加護)橋の完成後に2人は浄財を集め、岩屋... 2025.05.12豊橋豊川新城
岡崎豊田刈谷赤目樫元弘法(愛知県知立市) あかめかしもとこうぼう西三河三弘法の一番札所・遍照院跡地にある空海がこの地にしばらく滞留し、赤目樫の木を使って3体の仏像を彫り上げた3体の仏像は遍照院、西福寺、密蔵院にそれぞれ安置され「西三河三弘法」(霊場)として信仰されている『日本の伝説... 2025.05.12岡崎豊田刈谷
津島常滑知多長昌院(愛知県飛島村) ちょうしょういん飛島新田(干拓地)を開拓した佐野周平は、自宅を寺にするため仏像を求めて桑名へ赴いた気に入った仏像があったが、持ち合わせがないため帰ろうとすると「買って帰れ」との声が聞こえた(声の怪)店で仏像の値段を尋ねると、持ち合わせちょう... 2025.05.10津島常滑知多
名古屋笠覆寺(愛知県名古屋市南区) りゅうふくじ通称・笠寺観音雨ざらしになっていた観音像(仏像)に、鳴海長者成高の女中が濡れないように笠(雨具)をかぶせた長者の家に逗留していた藤原基経の三男・兼平(藤原氏)がそれを見て娘を見初めて、京へ連れて帰った娘は玉照姫と呼ばれ、兼平の妻... 2025.05.10名古屋
津島常滑知多甚目寺(愛知県あま市) じもくじ漁夫の甚目(はだめ)龍麿が海から拾い上げた高さ1尺1寸5分の聖観音像を本尊とする(創建伝説)この仏像は、物部守屋が海に投げ棄てた3体の仏像の1体であるとされる現在本堂に安置される十一面観音像の胎内仏として祀られている『日本の伝説7 ... 2025.05.10津島常滑知多