信仰の墓碑

武雄多久小城

持永盛秀の墓(佐賀県小城市)

もちながもりひでのはか持永氏が室町時代に造った持永城本丸跡に残る墓所持永盛秀は戦国武将で、千葉氏の下で龍造寺家に属して武功を挙げたこの墓に詣でると、瘧(熱病)が治るとされた(信仰の墓碑:病気平癒)『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)p...
鹿屋垂水曽於

石坂牛之助の墓(鹿児島県曽於市)

いしざかうし(ぎゅう)のすけのはか?日向国の修験者(行者山伏:あるいは都城の藩士)で、火を操る術を使ったとされるそのことから墓所が火伏せ(火除け)の神として祀られている(信仰の墓碑)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.34鹿児島...
鹿屋垂水曽於

平景清の墓(鹿児島県曽於市)

たいらのかげきよのはか捕らえられた平景清は後に赦免され日向国に土地を与えられ隠棲したその後、柳井谷の地へ移ってここで没したとされることから墓所がある眼病に効くとのことから、墓石を削って服用された(信仰の墓碑)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』...
高槻茨木池田

服部天神宮(大阪府豊中市)

はっとりてんじんぐう藤原魚名(藤原氏)は讒言を受けて大宰府に左遷の途中、この地で病を得て亡くなった菅原道真も同じく左遷となって下向中、この地で足の病で逗留し、魚名の墓を見つけ丁重に供養した(信仰の墓碑)その後道真の足の病は平癒し、足の神様と...
八尾河内長野

和田賢秀の墓(大阪府四條畷市)

わだけんしゅうのはか楠木正行の家臣(南北朝の武将)で、四條畷の戦い(南北朝の戦い)で討死した討ち取られる際に敵の鎧に噛みついたまま首を切られた歯痛に効験があるとされ、信仰されている(信仰の墓碑)『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.9...
岡崎豊田刈谷

縁心寺 若林喜惣兵衛の墓(愛知県西尾市)

えんしんじ わかばやしきそべえのはか若林喜惣兵衛は西尾藩士で、酒好きであったが、生前ある娘の持病の癪を治したその娘が墓前に酒を供えたことから、酒を供えると癪や疝気、子供の夜泣きを治すとされた(信仰の墓碑:病気平癒)『日本の伝説7 愛知の伝説...
館山南房総

和泉式部供養塚(千葉県館山市)

いずみしきぶくようづか那古山の展望台(潮音台)にある供養塔木樵(杣人)の夢の中に現れたことに由来するとされる(夢告)明治32年(1899年)頃、病気平癒の噂が立ち参拝者が激増した(流行神:信仰の墓碑)供養塚の隣には和泉式部の娘の小式部内侍の...
さぬき小豆島

森権平の墓(香川県東かがわ市)

もりごんべいのはか仙石久秀の家臣であった森権平(戦国武将)は、天正12年(1584年)長宗我部との引田の戦い(戦国の戦い)において18歳で討死した(墓所)向かい側には“森権平庵”があり、足腰の神(手足の平癒)として祀られている(信仰の墓碑)...