名僧

唐津伊万里

近松寺(佐賀県唐津市)

きんしょうじ文禄2年(1593年)に唐津の領主となった寺沢広高(大名)が再興し、その諡号である“近松寺殿”から寺名が採られた(名称の由来)境内に近松門左衛門の遺髪塚(墓所)がある墓石碑文では4世住職の遠室禅師(名僧)の下で学僧として修行した...
唐津伊万里

鏡神社(佐賀県唐津市)

かがみじんじゃ三韓征伐の際、神功皇后は鏡山で戦勝祈願をしたが、その直後から山頂に怪光が現れた帰国後それを聞いた皇后は、山頂に鏡を奉納し、近くに社を建てた(創建伝説:地名の由来)この故事より、一ノ宮に神功皇后が祀られる玄昉(名僧)と吉備真備に...
唐津伊万里

大村神社(佐賀県唐津市)

おおむらじんじゃ藤原広嗣(藤原氏)は、玄昉(名僧)・吉備真備に異を唱えて大宰府に左遷され、さらに謀反の疑いを掛けられ攻められた(藤原広嗣の乱:歴史的事件)広嗣は朝鮮に逃れようとしたが、船が難破してこの地に漂着し、斬罪となったその後この地に疫...
武雄多久小城

常在寺 平敦盛供養塔(佐賀県嬉野市)

じょうざいじ たいらのあつもりくようとう7世住職の成紹法印(名僧)が京へ上る途中、摂津国一の谷の古戦場を通りがかると、死屍累々の状態であったため供養の読経をした寺に帰ると、一の谷の戦いで討死した平敦盛(平氏)の幽霊が現れ、修羅道の苦しみを訴...
武雄多久小城

岩蔵寺 曾我殿の腰掛石(佐賀県小城市)

がんぞうじ そがどののこしかけいし延暦22年(803年)に勅命により創建、建久3年(1192年)に栄西(名僧)によって再興された寺でおこなわれた如法教(写経納経)会に虎御前や鬼王団三郎が参加して、曾我兄弟の菩提を弔ったこの法要の時、曾我兄弟...
佐賀鳥栖

万寿寺 竜王池(佐賀県佐賀市)

まんじゅじ りゅうおういけ仁治元年(1240年)に神子栄尊和尚(名僧)がこの寺を開基してまもなく、落雷と共に2体の鬼の姿をした異形の者(異人:天人)が境内に落ちてきた和尚が捕らえて誰何すると、善護・慈済と名乗る龍王(龍神)の使いで、水火二振...
佐賀鳥栖

與止日女神社 大楠(佐賀県佐賀市)

よどひめじんじゃ おおくす熊襲(隼人熊襲)の首領・川上梟帥討伐に赴いた日本武尊が、この地に生えた楠の大木を見て「この国は栄(さか)の国」と言い、佐賀の地名の由来となった明国の名僧・如定はこの楠の木を見て「大唐でも見られない巨木」と賞し、肥前...
佐賀鳥栖

親正寺 書きかけの御題目(佐賀県佐賀市)

しんしょうじ かきかけのおだいもく本堂裏側にある“南無妙法蓮華経”と彫られた岩(字彫りの石)日親上人(名僧)が九州で布教中にこの岩に題目を刻んだが、“南無妙法”を刻み“蓮”の文字の途中で迫害に遭って退去したその後、朝鮮の役に出陣途上の加藤清...
佐賀鳥栖

脊振山(佐賀県神埼市)

せふりさん天竺から弁財天を乗せて龍馬がこの山の上空まで来た時、天に向かって3度いななき、背びれを打ち振ったことから脊振山の名が付いた(地名の由来)乙天護法善神像を馬の背に乗せて山上の寺まで運ぶ際、馬が背を振りながら登ったことから名が付いた栄...
佐賀鳥栖

霊仙寺跡 日本茶樹栽培発祥の地(佐賀県吉野ヶ里町)

りょうぜんじあと にほんちゃじゅさいばいはっしょうのち建久2年(1191年)に宋から帰国した栄西(名僧)が茶の種を持ち帰り、脊振山にあった霊仙寺石上坊境内で栽培を始め、その製法を教えたとされる(起源伝説)現在も周辺では茶畑が残り、乙護法堂の...