地名の由来

佐賀鳥栖

源蔵松(佐賀県佐賀市)

げんぞうまつ浜から金立山へ行く途中で徐福が、千布の地で源蔵という者の家に立ち寄った源蔵は金立山への道案内をし、娘のお辰は徐福の身の回りの世話をした源蔵は徐福一行を案内した記念に松の木を植え、今もそれが受け継がれている“千布”の地名は、湿地帯...
佐賀鳥栖

徐福御手洗井戸(佐賀県佐賀市)

じょふくみたらいいど浮盃の浜に上陸した徐福一行が、水を確保するために掘ったとされる井戸徐福がこの井戸で手を洗ったことから“寺井”という地名となった(地名の由来)大正15年(1926年)に民家から、井桁が残る古井戸が発見され、それを徐福ゆかり...
武雄多久小城

嬉野温泉(佐賀県嬉野市)

うれしのおんせん三韓征伐の帰途、神功皇后は佐世保あたりから上陸し、この地へ立ち寄った川中に湯が湧いており、鶴が脚を浸して傷を治しているのを見て、傷を負った兵士にも温泉に浸かるよう勧めた兵の傷が癒やされるのを見て皇后が「あな、うれしの」と言っ...
武雄多久小城

為朝の弓掛松(佐賀県武雄市)

ためとものゆみかけまつ源為朝は最初“おつぼ山(靱山)”に暮らしていたが、領主の後藤助明(地方豪族)が若木に居館を与え、移転させた(屋敷跡)黒髪山の大蛇を退治した時もこの地から出陣したとされ、大蛇に矢を射掛けた“八人掛けの強弓”を立て掛けてお...
武雄多久小城

鎌倉水(佐賀県武雄市)

かまくらみず文治2年(1186年)源頼朝は、平家との戦勝祈願の御礼参りとして天野遠景(源平の武将)を武雄神社に遣わした参拝の折、源氏の祖・清和天皇の叔母にあたる柏姫(姫君)が葬られている円応寺を参詣し、墓前に浄水を手向けたこの時に献じた水を...
武雄多久小城

柏岳(佐賀県武雄市)

かしわだけ標高239mの山で、太政大臣藤原良房(藤原氏)の娘・柏姫(姫君)から名付けられた(地名の由来)柏姫は、姉の明子が産んだ惟仁親王(後の清和天皇)の皇位継承争い解決を祈願するため、九州の諸社を参詣したその途中で病を得た姫は武雄温泉で療...
武雄多久小城

御船山(佐賀県武雄市)

みふねやま標高210mの山三韓征伐を終えた神功皇后はこの地に船を停泊させて上陸したが、その時船を繋いだのがこの山であるとされる(地名の由来:舟繋ぎ伝説)また停泊した船がそのまま山になってしまったともされ(地形の由来)、北の嶺が船首、南の嶺が...
武雄多久小城

武雄温泉(佐賀県武雄市)

たけおおんせん三韓征伐の帰りにこの地に船を停泊させた神功皇后が、矛(武具)の柄で岩を突いたところ湯が湧き出たとされる温泉この故事から、この地は“塚崎”と呼ばれた(地名の由来)米守という役人(官吏)が、岩場の陰で1羽の白鷺が傷ついた脚を湯に浸...
唐津伊万里

黒髪山(佐賀県有田町)

くろかみやま標高516mの山で、頂上に“天童岩”と呼ばれる巨石があるこの山に七又の角の生えた大蛇が棲み着き、天童岩に身体を巻き付け、口から火を吹きながら周辺に害をなした長寛2年(1164年)に訴えがあり、武雄邑主・後藤助明(地方豪族)が60...
唐津伊万里

駒鳴峠(佐賀県伊万里市)

こまなきとうげ黒髪山の大蛇を退治した源為朝は、その鱗を都に献上しようと馬に運ばせた途中の峠の上り道で、あまりの重さに馬がいなないたことが“駒鳴”の地名の由来となったこの峠に“駒石”という名の、馬の形に似た石があり、夜な夜ないなないた(夜泣き...