地名の由来

唐津伊万里

伊萬里神社 岩栗神社(佐賀県伊万里市)

いまりじんじゃ いわくりじんじゃ香橘神社・戸渡島神社と合祀し、昭和37年(1962年)に伊萬里神社となった藤原広嗣の乱(戦乱)に際し、副将として派遣された紀飯麻呂(公家)が、戦勝祈願のため始祖である彦太忍信命を栗の木の下に祀った(創建伝説)...
唐津伊万里

馬渡島(佐賀県唐津市)

まだらしま中国から日本に最初に馬が渡ってきた島とされる(起源伝説)牡と牝の2頭の馬がたどり着いた岬は“名馬が鼻”と呼ばれている近江国馬渡を領していた源義俊(源氏)が謀反の罪でこの島に流されたが、故郷を懐かしんで馬渡島と名付けた(地名の由来)...
唐津伊万里

オビヤ浦(佐賀県唐津市)

おびやうら加唐島の南西部に位置する浜(浜海岸)懐妊中の神功皇后がこの浜に上陸し、着帯の式(行事)をおこなったことから、オビヤ(帯祝い)の名が付いた(地名の由来)雄略天皇5年(461年)に百済からの使者(渡来人)が日本を訪れたが、それに加わっ...
唐津伊万里

土器崎/七ツ釜(佐賀県唐津市)

かわらけざき/ななつがま三韓征伐の時、神功皇后の軍勢がこの地で戦勝祈願(あるいは戦勝祝い)をおこない、海神を祀り、神酒をいただいた土器(酒器)を海中に投げた(地名の由来)当地にある“七ツ釜”は、40mの断崖に7つの海蝕洞穴が並んである場所で...
唐津伊万里

神集島(佐賀県唐津市)

かしわじま沖合1kmのところにある、周囲約6kmの島三韓征伐の折、神功皇后がこの島に立ち寄り、八百万の神々を集めて戦勝祈願をおこなった(地名の由来)島には、皇后が弓軍を準備した弓張山、応神天皇を産まれた産子山などの伝説地が残る『日本の伝説3...
唐津伊万里

衣干山(佐賀県唐津市)

きぬぼしやま標高163mの山松浦佐用姫が大伴狭手彦(豪族)の乗った船を追って鏡山から駆け下りた時、松浦川(河川)に飛び込んでしまったその濡れた衣類を干して乾かした山とされる(地名の由来)あるいは涙で濡れた衣類を乾かしたともまた別説では、三韓...
唐津伊万里

鏡神社(佐賀県唐津市)

かがみじんじゃ三韓征伐の際、神功皇后は鏡山で戦勝祈願をしたが、その直後から山頂に怪光が現れた帰国後それを聞いた皇后は、山頂に鏡を奉納し、近くに社を建てた(創建伝説:地名の由来)この故事より、一ノ宮に神功皇后が祀られる玄昉(名僧)と吉備真備に...
唐津伊万里

鏡山 蛇池(佐賀県唐津市)

かがみやま へびいけ『肥前国風土記』にある、松浦佐用姫の別伝大伴狭手彦(豪族)が出征して5日後の夜、佐用姫の許に狭手彦に似た男が訪ねてきた一夜を共にしたが不審に思った佐用姫が、男の着物の端を糸(裁縫道具)を結んでその後を追うと、男は鏡山の山...
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鏡山(佐賀県唐津市)

かがみやま標高284mの山で、別名“領巾振山(ひれふりやま)”任那遠征の任にあった大伴狭手彦(豪族)はこの地に滞在中に、長者の娘・松浦佐用姫の世話を受け、恋仲となった狭手彦が任那へ向けて出港すると、佐用姫はこの山の頂上で領巾(装身具)を振っ...
唐津伊万里

玉島神社(佐賀県唐津市)

たましまじんじゃ別名は“神功皇后宮”、“聖母(しょうも)大明神”三韓征伐の際、神功皇后がこの地を訪れて、戦の成否を占うために玉島川で魚を釣ったとされる釣れた魚は鮎で、これを見て皇后は「珍しきもの」と言ったことから、一帯は“梅豆羅(めずら)国...