武雄多久小城柏岳(佐賀県武雄市) かしわだけ標高239mの山で、太政大臣藤原良房(藤原氏)の娘・柏姫(姫君)から名付けられた(地名の由来)柏姫は、姉の明子が産んだ惟仁親王(後の清和天皇)の皇位継承争い解決を祈願するため、九州の諸社を参詣したその途中で病を得た姫は武雄温泉で療... 2026.02.27武雄多久小城
唐津伊万里李参平の墓(佐賀県有田町) りさんぺいのはか朝鮮の役の末期に鍋島家によって日本へ連れて来られた朝鮮人陶工(渡来人)で、磁器に適した陶石を発見して、日本で初めての磁器(有田焼)を製作した(起源伝説)その後、日本名・金ヶ江三兵衛を名乗り、明暦元年(1655年)に亡くなった... 2026.02.25唐津伊万里
唐津伊万里大石良知の墓(佐賀県伊万里市) おおいしよしとものはか大石良知は、大石内蔵助が京都山科にあった時に側室の“お軽”との間に出来た男児であるとされる良知は成人後各地を転々とし、伊万里の薬種問屋(商人)・藤田家の客人となったが、3年ほど後に当地で病死した死の間際で大石内蔵助の遺... 2026.02.24唐津伊万里
唐津伊万里浄泰寺 安田作兵衛の墓(佐賀県唐津市) じょうたいじ やすださくべえのはか本能寺の変(謀反)で織田信長に一番槍をつけたとされる、安田作兵衛国継(戦国武将)の墓所旧友の寺沢広高といずれかが出世したら禄高の十分の一で召し抱えるとの約束をしており、広高が唐津の大名となったため、家臣とな... 2026.02.10唐津伊万里
唐津伊万里近松寺(佐賀県唐津市) きんしょうじ文禄2年(1593年)に唐津の領主となった寺沢広高(大名)が再興し、その諡号である“近松寺殿”から寺名が採られた(名称の由来)境内に近松門左衛門の遺髪塚(墓所)がある墓石碑文では4世住職の遠室禅師(名僧)の下で学僧として修行した... 2026.02.10唐津伊万里
唐津伊万里心月寺(佐賀県唐津市) しんげつじ波多氏17代の親(ちかし:戦国大名)は、龍造寺氏と和睦の証として、妻と離縁して龍造寺隆信の養女を後妻とした離縁された妻は城を出て出家し、心月尼(尼僧)と名乗って隠棲した心月尼はまもなく病死し、隠棲した庵の跡に心月寺が建てられた(創... 2026.02.05唐津伊万里
唐津伊万里鶴田神社(佐賀県唐津市) つるたじんじゃ祭神の鶴田越前守前(すすむ:戦国武将)は、近くの獅子ヶ城の城主で松浦党の有力武将であったが、天正4年(1576年)に討死した領民の信望が篤く、その死後に墓として五輪塔が建てられた明治時代になって末裔が祭祀するようになり、昭和3... 2026.02.02唐津伊万里
武雄多久小城専称寺 核割れ梅(佐賀県多久市) せんしょうじ さねわれうめ明応6年(1497年)に少弐政資(戦国大名)は大内氏に敗れ退却し、さらに多久氏の離反により、専称寺で自害した自害の直前、腰に付けた梅干し(食品食材)を口にし、種を噛み砕いて地面に捨てたその後捨てた種から梅の木が生長... 2026.01.29武雄多久小城
武雄多久小城持永盛秀の墓(佐賀県小城市) もちながもりひでのはか持永氏が室町時代に造った持永城本丸跡に残る墓所持永盛秀は戦国武将で、千葉氏の下で龍造寺家に属して武功を挙げたこの墓に詣でると、瘧(熱病)が治るとされた(信仰の墓碑:病気平癒)『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)p... 2026.01.19武雄多久小城
武雄多久小城天山 阿蘇惟直の墓(佐賀県小城市) てんざん あそこれなおのはか多々良浜の戦い(南北朝の戦い)で南朝方が敗れ、南朝の阿蘇惟直(南北朝の武将)は負傷しつつも肥前まで撤退したしかし敵に退路を断たれたためこの地で自刃し、故郷の阿蘇の煙が見える場所に墓を建てるよう遺言したそのため当地... 2026.01.18武雄多久小城