武雄多久小城泣きびすさん(佐賀県鹿島市) なきびすさん文明9年(1477年)大村日向守家親の居城であった蟻尾城は落城し、家親の妻(あるいは乳母)は赤子を連れて落ち延びた(落城伝説)追っ手をやり過ごそうとした時、突然赤子が泣き出したため、捕まることを潔しとせず妻は赤子を刺し、自らも自... 2026.03.02武雄多久小城
武雄多久小城馬場之子屋敷跡(佐賀県嬉野市) ばばのこやしきあと不動山一帯には多くのキリシタンが住んでいたため、寛永の頃(1624~1644年)にキリシタン狩りがおこなわれたその時、足手まといになる子供を子捨谷に投げ捨てたあと焼いた場所とされる(子女受難)あるいは“子供等の家”という建... 2026.03.02武雄多久小城
武雄多久小城子捨谷史跡(佐賀県嬉野市) こすてだにしせき不動山一帯には多くのキリシタンが住んでいたため、寛永の頃(1624~1644年)にキリシタン狩りがおこなわれたその時、足手まといになる子供を投げ捨てたとされる谷(子女受難)別名“幸助谷(こうすけだに)”とも呼ばれる『日本の伝... 2026.03.02武雄多久小城
武雄多久小城心月妙泉尼之碑(佐賀県嬉野市) しんげつみょうせんにのひ寛永の頃(1624~1644年)、不動山周辺でおこなわれたキリシタン狩りの中で、赤子を背負った一人の女が捕吏によって斬られた(子女受難)女は絶命する直前に念仏を唱えたため、キリシタンではなかったことが分かり、憐れんだ... 2026.03.02武雄多久小城
武雄多久小城稲主神社(佐賀県武雄市) いなぬしじんじゃ源頼政の孫・源頼茂(源氏)は京で謀反の疑いを掛けられたため、木元夕路木と名を改めて7人の子と共にこの地に隠棲したこの地で紅稲が盗まれる事件があり、夕路木が疑われ、役人が子に何を食べたかと尋ねると「赤まんま」と答えた尋問された... 2026.03.01武雄多久小城
武雄多久小城六角の泣仏地蔵(佐賀県白石町) ろっかくのなきびす?じぞう生活苦で母親に捨てられた赤子が、乳を求めて泣きながら死んでしまった(子女受難)ある者がその赤子の供養に地蔵を建て、この地蔵に乳を供えると乳が出るようになるとされた(授乳の俗信)また乳を地蔵に掛けると、目から涙を流し... 2026.01.19武雄多久小城
佐賀鳥栖蛤水道 ▲お万ヶ池(佐賀県吉野ヶ里町) はまぐりすいどう おまんがいけ肥前藩の成富兵庫茂安(藩士)が蛤水道(用水路)を通したため、筑紫側の村が水不足となった水を取る役目を引き受けたお万という女が山に入ったが、連れていた赤子が足手まといになるため滝に捨てた(稚児落としの滝:子女受難... 2025.12.25佐賀鳥栖
佐賀鳥栖安生寺 太田観音(佐賀県鳥栖市) あんしょうじ おおたかんのん子のなかった八ツ並長者は子沢山の叔母を訪れ、民を慈しめば子が出来ると諭され、それを実行して娘をもうけた成長した娘は柳川長者へ嫁いで子をもうけたが、その後八ツ並長者と戦となって家を出された実家へ戻ろうとしたが、父の... 2025.12.15佐賀鳥栖
四万十須崎姫島(高知県宿毛市) ひめしま沖の島の長者が上方に上った際に京で遊女を見初め、一緒に土佐へ連れ帰った島の近くまで来た時、長者は妻があることを告げ、しばらく小島で待って欲しいと言い聞かせたしばらく後に長者が小島に船を着けた時には遊女は亡くなっていた(子女受難)その... 2025.12.06四万十須崎
室戸安芸葛島(高知県東洋町) くずしま上方で一攫千金の商いをした魚商人が、京都で遊女と懇ろになり、土佐へ連れ帰ってきた船が港に着く直前に、商人は妻子があることを告げ、近くの島で待つよう言い聞かせた船が去った後で騙されたことを知った遊女は助けを求めたが、そのまま島で亡くな... 2025.12.06室戸安芸