武雄多久小城馬場之子屋敷跡(佐賀県嬉野市) ばばのこやしきあと不動山一帯には多くのキリシタンが住んでいたため、寛永の頃(1624~1644年)にキリシタン狩りがおこなわれたその時、足手まといになる子供を子捨谷に投げ捨てたあと焼いた場所とされる(子女受難)あるいは“子供等の家”という建... 2026.03.02武雄多久小城
武雄多久小城為朝の弓掛松(佐賀県武雄市) ためとものゆみかけまつ源為朝は最初“おつぼ山(靱山)”に暮らしていたが、領主の後藤助明(地方豪族)が若木に居館を与え、移転させた(屋敷跡)黒髪山の大蛇を退治した時もこの地から出陣したとされ、大蛇に矢を射掛けた“八人掛けの強弓”を立て掛けてお... 2026.02.27武雄多久小城
武雄多久小城おつぼ山(佐賀県武雄市) おつぼやま九州に流された源為朝が、武雄の領主・後藤助明(地方豪族)の監視の下に居館を構えたとされる(屋敷跡)標高66mの頂上には為朝を祀るとされる“八郎さんの石祠”が置かれる昭和37年(1962年)に全国8番目となる神籠石が発見され、総延長... 2026.02.27武雄多久小城
唐津伊万里山ン寺遺跡(佐賀県伊万里市) やまんてらいせき久安年間(1145~1150年)に松浦党2代である源直(なおす:地方豪族)がこの地に館を建てて、一族の菩提寺の総持寺を建立した(屋敷跡)朝鮮の役の時、豊臣秀吉が鐘の供出を命じたが拒否したため全山が焼き討ちに遭った(僧兵の出兵... 2026.02.20唐津伊万里
唐津伊万里松浦佐用姫生誕の地(佐賀県唐津市) まつらさよひめせいたんのちこの周辺は篠原長者の屋敷跡で、その娘である松浦佐用姫の生誕地として石碑が建つ三韓へ兵を出す大伴狭手彦(豪族)がしばらく長者の屋敷に滞在し、その身の回りの世話をした佐用姫と恋仲となったとされる『日本の伝説38 佐賀の... 2026.02.01唐津伊万里
佐賀鳥栖八ツ並長者の碑(佐賀県基山町) やつなみちょうじゃのひ周辺を治めていた八ツ並長者の屋敷跡に建てられた石碑碑の南西にある“剣塚”が長者の墓所とされる近くの竹藪に生える躑躅の木の枝を折ると重病になるとされる(発病)近くの竹藪の中にある石塔は長者の膳が埋めてある塚とされる『日本... 2025.12.15佐賀鳥栖
伊賀名張八幡長者屋敷跡(三重県名張市) はちまんちょうじゃやしきあと?近江国の八幡長者の息子が業病にかかったため(病者)、故郷を離れて移り住んだとされる屋敷跡現在は叢林として名が残っている『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.89三重県名張市 中知山 2025.11.18伊賀名張
川越所沢飯能長勝院跡(埼玉県志木市) ちょうしょういんあとこの地を治めていた藤原長勝(地方豪族)の屋敷跡長勝は沼に棲む大蛇(首無し[かしらなし])を退治して(化け物退治)、広大な田を開拓して田面長者と呼ばれた長勝の死後、屋敷跡に長勝の霊を祀って建てられたのが長勝院とされるこの地... 2025.10.24川越所沢飯能
高崎安中富岡伊勢三郎義盛屋敷跡(群馬県安中市) いせさぶろうよしもりやしきあとこの地で盗賊をしていた伊勢三郎義盛(源平の武将)の屋敷跡橋向こうの宿に旅人を泊めて殺していたため“朝不見橋”と呼ばれた橋の一部が残る源義経の家来となって奥州へ向かう前、大願成就を願ったところ池の葦がすべて片葉と... 2025.10.01高崎安中富岡
奄美屋久西之表俊寛堂(鹿児島県三島村) しゅんかんどう鬼界島(今の硫黄島)に流罪となり、さらに一人帰国を許されなかった俊寛が晩年に住んだ住居跡(屋敷跡)後に墓をここに移転させ堂宇を建てて祀った『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.84鹿児島県三島村 硫黄島 2025.08.27奄美屋久西之表