戦国武将

武雄多久小城

磐井八幡社/正一位神社/松尾神社 荒踊(佐賀県武雄市)

いわいはちまんしゃ/しょういちいじんじゃ/まつおじんじゃ あらおどり大小二本差し(刀剣)の男達が歌に合わせて踊る、武雄市内の3社の祭礼でおこなわれる踊り永禄6年(1560年)に武雄の領主・後藤貴明(戦国武将)が、有馬氏の招きで島原に赴いた有...
唐津伊万里

円通寺 お吉観音(佐賀県伊万里市)

えんつうじ おきちかんのん武雄城主・後藤貴明(戦国武将)の娘が婿を取って“お吉”という女児をもうけたが、離縁して伊万里に住み着いた龍造寺隆信の養子・家繁が伊万里城に入り、お吉を見初めて妻としたお吉は家繁の子を宿したが、難産の末亡くなったその...
唐津伊万里

広沢寺(佐賀県唐津市)

こうたくじ名護屋城内の山里丸跡にある、豊臣秀吉が建立した寺院名護屋城の地を領有していた名護屋経述(戦国武将)の妹で、松浦一の美女と言われて秀吉の側室となった広沢局の名を採って創建された秀吉の死後、広沢局はこの寺で仏門に入り、境内に秀吉の遺髪...
唐津伊万里

浄泰寺 安田作兵衛の墓(佐賀県唐津市)

じょうたいじ やすださくべえのはか本能寺の変(謀反)で織田信長に一番槍をつけたとされる、安田作兵衛国継(戦国武将)の墓所旧友の寺沢広高といずれかが出世したら禄高の十分の一で召し抱えるとの約束をしており、広高が唐津の大名となったため、家臣とな...
唐津伊万里

鶴田神社(佐賀県唐津市)

つるたじんじゃ祭神の鶴田越前守前(すすむ:戦国武将)は、近くの獅子ヶ城の城主で松浦党の有力武将であったが、天正4年(1576年)に討死した領民の信望が篤く、その死後に墓として五輪塔が建てられた明治時代になって末裔が祭祀するようになり、昭和3...
唐津伊万里

獅子ヶ城跡(佐賀県唐津市)

ししがじょうあと戦国時代に、波多氏の家臣・鶴田越前守前(すすむ:戦国武将)が城を守った龍造寺氏との戦いで包囲され、水の手を断たれかけた時、城を守る久部助左衛門が灰を混ぜた米を馬の背に流しかけ、水があると見せかけ危機を脱した(白米城伝説)この...
武雄多久小城

柴折峠(佐賀県多久市)

しばおりとうげ別名・志久峠天正元年(1573年)龍造寺隆信(戦国大名)と後藤貴明(戦国武将)が戦い、後藤方が志久峠近くに陣を構えた龍造寺方が野田與七郎、後藤方が岩永八郎右衛門を斥候に出したが、峠で遭遇して與七郎が討ち取られた與七郎の遺骸はし...
武雄多久小城

持永盛秀の墓(佐賀県小城市)

もちながもりひでのはか持永氏が室町時代に造った持永城本丸跡に残る墓所持永盛秀は戦国武将で、千葉氏の下で龍造寺家に属して武功を挙げたこの墓に詣でると、瘧(熱病)が治るとされた(信仰の墓碑:病気平癒)『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)p...
四万十須崎

槿花の宮(高知県四万十町)

きんかのみやお万御寮と西原紀伊守(戦国武将)は仲睦まじい夫婦であったが、ある夜からお万御寮の許に妖しい男が現れだした妖しい男に身を許してしまったお万御寮は、ある夜蛇体に変化して城の下の淵に身を投げた(変身譚)実家の下男が近くで草を刈っている...
橿原桜井天理

龍王山城跡(奈良県天理市)

りゅうおうざんじょう松永久秀に滅ぼされた十市遠忠(戦国武将)の怨念が残り、ホイホイ火(ジャンジャン火)と呼ばれる怪火となった夏の雨の夜に城址で「ホイホイ」と声を上げると火が飛んできて、見た者は発病し数日高熱で伏せるとされる怪火が出現するのは...