高崎安中富岡頼政神社(群馬県高崎市) よりまさじんじゃ元禄11年(1698年)、高崎藩の大河内松平家(大名)が遠祖に当たる源頼政の分霊を古河藩(元禄7年に実兄が藩主となる)から勧請したのが始まり3体の神馬像は夜な夜な水を飲みに出かけたが(動く絵や像)、1体だけ戻らなくなって以降... 2025.09.29高崎安中富岡
佐渡矢島(新潟県佐渡市) やじま矢竹(竹藪)を産出したので名が付いた島(地名の由来)源頼政の鵺退治の際に使われた矢もここの竹で作られたものとされる『日本の伝説9 佐渡の伝説』(角川書店)p.106新潟県佐渡市 小木 2025.07.30佐渡
大阪鵺塚(大阪府大阪市都島区) ぬえづか京の都で源頼政によって退治された鵺の死骸は、うつろ舟(うつぼ舟)に乗せられて川に流れたとされる鵺の死骸が流れ着いた場所に造られたのが鵺塚とされる明治になって塚を取り壊そうとしたところ、鵺の怨霊が祟りをなしたので、改修して残したこの塚... 2025.07.06大阪
輪島珠洲頼政灯籠(石川県穴水町) よりまさとうろう能登中居鋳物館に展示される灯籠(八朔灯籠の一種)源頼政が鵺退治をした際、この地で造られた燈籠を御所の庭に掛けて明かりを採ったとされる『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.110石川県穴水町 中居 2025.06.20輪島珠洲
呉竹原東広島観現寺(広島県東広島市) かんげんじ菖蒲御前が、建久元年(1190年)に源頼政や子の種若丸などを弔うための建立した寺院その後、頼政家臣の猪早太(武人)は勝谷右京と名を変えて長く寺を守り、その墓所が残されている『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.72広島県東... 2025.05.25呉竹原東広島
呉竹原東広島吾妻子の滝(広島県東広島市) あづまこのたき源頼政が敗死し、安芸国へ逃げた愛妾の菖蒲御前は、一時期この滝に身を潜めたこの間に、頼政との間に出来た種若丸が亡くなり、遺体をこの地に埋めた後に観音堂に宝篋印塔を安置した(子女受難)滝の名は、我が子の死を悲しんだ菖蒲御前が詠んだ... 2025.05.25呉竹原東広島
新潟村上間手橋(新潟県新潟市西蒲区) まてばし以仁王の乱(源平の戦い)の後、菖蒲御前と共に源頼政も越後に逃れ、この地で別々に住んだ(生存説)毎日のように2人は会ったが、頼政はいつもこの橋で御前を待っていたためこの名が付いた(地名の由来)『日本の伝説41 越後の伝説』(角川書店)... 2025.04.07新潟村上
新潟村上金仙寺 菖蒲御前の墓(新潟県新潟市西蒲区) きんせんじ あやめごぜんのはか源頼政の愛妾・菖蒲御前は、頼政の死後流浪して越後に辿り着き、そこで生涯を終えた金仙寺の裏山は前方後円墳で、その古墳の上に立っていた石塔が菖蒲御前の墓とされる(現在は寺の門前に安置)『日本の伝説41 越後の伝説』... 2025.04.07新潟村上
丸亀善通寺頼政矢止めの松(香川県善通寺市) よりまさやどめのまつ善通寺にある筆の山に棲む大百足を退治しようと、源頼政が屋敷から矢を放った1本目と2本目の矢は、途中にある松の木に当たって届かず、3本目の矢で百足を退治したという(化け物退治)別説では、源頼政が遠矢をして矢が当たったのがこ... 2025.03.04丸亀善通寺
丸亀善通寺若宮神社(香川県多度津町) わかみやじんじゃ通称「頼政さん」かつて源頼政が讃岐へ下向した時に居住していた屋敷跡とされる神社宇治で自刃した後、家臣が遺髪(毛髪)をこの地に祀ったともされる『日本の伝説5 讃岐の伝説』(角川書店)p.53日本伝承大鑑:香川県多度津町 三井 2025.03.04丸亀善通寺