石碑

八尾河内長野

善根寺春日神社(大阪府東大阪市)

ぜんこんじかすがじんじゃ境内には、神武東征で大和入りをして最初に戦った(戦乱)孔舎衙(くさか)の古戦場碑(石碑)がある神社の前の坂が孔舎衙坂であると比定される神社の祭礼として、東征の折に神武天皇が村人に酒を振る舞われた故事にちなみ、酒を醸造...
八尾河内長野

楯津浜の碑(大阪府東大阪市)

たでつはまのひ神武東征の際、長髄彦に孔舎衙坂で敗れた神武天皇らが退却した地ここまで退却したところで、神武天皇は、負傷した兄・五瀬命のために盾を立てて雄叫びを上げたことから盾津の名が付いた(地名の由来)盾津の比定地とされる場所に石碑がある『日...
八尾河内長野

楠公誕生地(大阪府千早赤阪村)

なんこうたんじょうち楠木正成の生誕地とされる地楠木氏館跡(屋敷跡)と考えられる遺跡が見つかっている豊臣秀吉の命で祠が建てられたことから祀られた明治時代になり、大久保利通(官吏)の推奨で石碑が建てられた『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)...

日部神社(大阪府堺市西区)

くさべじんじゃ神武東征の折、初めて神武天皇が上陸して長髄彦と最初に戦った“日下の蓼津”の比定地とされ、石碑が建つ和泉国の豪族・日下部首氏の祖神である彦坐命を祀る本殿脇にある石灯籠は正平24年(1369年)の銘があり、楠木正儀(南北朝の武将)...
大阪

長柄の人柱碑(大阪府大阪市淀川区)

ながえのひとばしらひ推古天皇(在位:593~628年)の時代、長柄の橋は幾度となく流されたため、人柱を立てることに決めたこの時通りがかった垂水長者の巌氏が、袴に継ぎ当てのある者を人柱にと進言した巌氏の袴に継ぎ当てがあったため、言った本人が人...
福山尾道三原

和泉式部手植下り松碑(広島県尾道市)

いずみしきぶてうえくだりまつひ厳島神社参詣で船に乗った和泉式部が、途中嵐に遭った嵐を避けて向島に上陸出来た式部が記念に植えた松の木が明治時代まであり、その跡に石碑が残る『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.88広島県尾道市 向東町古...
三次庄原

へらほりの池跡(広島県安芸高田市)

へらほりのいけあと吉田の豪商であった河野与三郎が、へら(木工品)を使って日数を掛けて池を造らせることで貧民救済を図った池はなくなったが、この慈善事業を後世に伝えるために石碑が建てられた『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.54広島県...
三次庄原

百万一心の碑(広島県安芸高田市)

ひゃくまんいっしんのひ毛利元就が、吉田郡山城の築城工事の際に、人柱の代わりに埋めた石碑「一人一人が力を合わせて、心を一つにして事にあたる」ことを意味する(教訓譚)文化13年(1816年)に長州藩士が発見したとされるが、拓本のみで実物は未見と...
広島廿日市

蛇王池の碑(広島県広島市安佐南区)

じゃおういけのひ阿武山に棲む大蛇が害をなすため、八木城主・香川光景の同族である香川勝雄(武人)が名乗り出て退治した(化け物退治)勝雄が大蛇の首を刎ねたところ、首が落ちた場所が血で沼のようになって池ができた供養の石碑は、昭和27年(1952年...
広島廿日市

福蔵寺(広島県広島市西区)

ふくぞうじ本尊は行基作の“帯孕み地蔵”と呼ばれ、妊婦を護り、安産のご利益がある境内に、沖で難破して死んだ源範頼の五輪塔があり、享保18年(1733年)に建立された旨を刻んだ石碑が立つ『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.36広島県広...