神功皇后

武雄多久小城

嬉野温泉(佐賀県嬉野市)

うれしのおんせん三韓征伐の帰途、神功皇后は佐世保あたりから上陸し、この地へ立ち寄った川中に湯が湧いており、鶴が脚を浸して傷を治しているのを見て、傷を負った兵士にも温泉に浸かるよう勧めた兵の傷が癒やされるのを見て皇后が「あな、うれしの」と言っ...
武雄多久小城

淀姫神社(佐賀県武雄市朝日町中野)

よどひめじんじゃ神功皇后が三韓征伐で武雄に滞在していた時、妹の淀姫(豊姫)が姉を慕って訪れた面会後姉は旅立ったが、淀姫は病を得てこの地で亡くなって葬られた桓武天皇の妹・松代姫(皇族)はこの故事を聞き、淀姫を祀る神社を建立したとされる(創建伝...
武雄多久小城

御船山(佐賀県武雄市)

みふねやま標高210mの山三韓征伐を終えた神功皇后はこの地に船を停泊させて上陸したが、その時船を繋いだのがこの山であるとされる(地名の由来:舟繋ぎ伝説)また停泊した船がそのまま山になってしまったともされ(地形の由来)、北の嶺が船首、南の嶺が...
武雄多久小城

武雄温泉(佐賀県武雄市)

たけおおんせん三韓征伐の帰りにこの地に船を停泊させた神功皇后が、矛(武具)の柄で岩を突いたところ湯が湧き出たとされる温泉この故事から、この地は“塚崎”と呼ばれた(地名の由来)米守という役人(官吏)が、岩場の陰で1羽の白鷺が傷ついた脚を湯に浸...
武雄多久小城

武雄神社(佐賀県武雄市)

たけおじんじゃ三韓征伐を終えた神功皇后一行は武雄の地に船を停泊させたが、その船が今の御船山になったとされる天平3年(735年)初代神主となる伴行頼(地方豪族)に、住吉三神と共に御船山に鎮座した武内宿禰が新たに山の麓に祀って欲しいと神託があっ...
唐津伊万里

伊萬里神社 戸渡島神社(佐賀県伊万里市)

いまりじんじゃ ととしまじんじゃ香橘神社・戸渡島神社と合祀し、昭和37年(1962年)に伊萬里神社となった足利尊氏が九州へ落ち延びた時に松浦の海で嵐に遭ったが、7羽の白鷺に導かれて伊万里の浦にある戸渡島に漂着できた島にある古社の由来を聞くと...
唐津伊万里

オビヤ浦(佐賀県唐津市)

おびやうら加唐島の南西部に位置する浜(浜海岸)懐妊中の神功皇后がこの浜に上陸し、着帯の式(行事)をおこなったことから、オビヤ(帯祝い)の名が付いた(地名の由来)雄略天皇5年(461年)に百済からの使者(渡来人)が日本を訪れたが、それに加わっ...
唐津伊万里

土器崎/七ツ釜(佐賀県唐津市)

かわらけざき/ななつがま三韓征伐の時、神功皇后の軍勢がこの地で戦勝祈願(あるいは戦勝祝い)をおこない、海神を祀り、神酒をいただいた土器(酒器)を海中に投げた(地名の由来)当地にある“七ツ釜”は、40mの断崖に7つの海蝕洞穴が並んである場所で...
唐津伊万里

神集島(佐賀県唐津市)

かしわじま沖合1kmのところにある、周囲約6kmの島三韓征伐の折、神功皇后がこの島に立ち寄り、八百万の神々を集めて戦勝祈願をおこなった(地名の由来)島には、皇后が弓軍を準備した弓張山、応神天皇を産まれた産子山などの伝説地が残る『日本の伝説3...
唐津伊万里

湊疫神宮(佐賀県唐津市)

みなとやくじんぐう別名“湊八坂神社”、通称“やくじんさん”三韓征伐に行く途中、神功皇后がこの地に寄ったが、海が荒れて出港できなくなった皇后は榊を立てて祈願し、その後榊を焼いた灰を振って禊ぎをすると海が凪いで出港できたこの故事に従い、旧暦の1...