壇ノ浦の戦い

石見

御殿岩(島根県津和野町)

ごてんいわ壇ノ浦の戦いから脱出した安徳天皇一行が落ち延びたとされる(平家の落人)一夜を明かすため、安徳天皇だけがこの上で休まれた巨石別名を一夜城ともいう『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.119島根県津和野町 左鐙
石見

琴ヶ浜 琴姫の碑(島根県大田市)

ことがはま ことひめのひ壇ノ浦の戦い後、一艘の舟が漂着し、中に琴(楽器)を抱えた若い女性が乗っていた平家の落人だった女性はこの地に滞在して琴を弾いていたが、間もなく病で亡くなったその死後から、浜(浜海岸)の砂が音を立てて鳴くようになり、琴ヶ...
熊毛大島

安徳天皇墓所(鹿児島県三島村)

あんとくてんのうぼしょ壇ノ浦の戦い後、安徳天皇は硫黄島まで逃れ、70歳近くまでの長生された(生存説)安徳天皇の墓所周辺には、后の櫛匣局(平資盛の娘:平氏)をはじめ近臣らの墓もある(平家の落人)櫛匣局との間にもうけた子の子孫が、現在の長濱氏と...
備北芸北

姥御前神社(広島県北広島町)

うばごぜんじんじゃ壇ノ浦の戦いの後に安徳天皇と二位の尼はこの地まで逃げ、機織をして暮らした(平家の落人)機織をした地に創建されたのが、姥御前(宇婆御前)神社とされる(創建伝説)社地を決める時に2つの部落が争ったが決着せず、両部落に社が建てら...
広島廿日市

尼の州(広島県廿日市市)

あまのす壇ノ浦の戦いで入水した二位の尼の遺体が流れ着いた有の浦を指す浜(浜海岸)には遺体が流れ着いたことを忌み嫌って周囲を掘った窪地があった有の浦には現在“二位殿燈籠”と刻まれた灯籠が立つ『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.12広...