唐津伊万里

李参平の墓(佐賀県有田町)

りさんぺいのはか朝鮮の役の末期に鍋島家によって日本へ連れて来られた朝鮮人陶工(渡来人)で、磁器に適した陶石を発見して、日本で初めての磁器(有田焼)を製作した(起源伝説)その後、日本名・金ヶ江三兵衛を名乗り、明暦元年(1655年)に亡くなった...
唐津伊万里

大石良知の墓(佐賀県伊万里市)

おおいしよしとものはか大石良知は、大石内蔵助が京都山科にあった時に側室の“お軽”との間に出来た男児であるとされる良知は成人後各地を転々とし、伊万里の薬種問屋(商人)・藤田家の客人となったが、3年ほど後に当地で病死した死の間際で大石内蔵助の遺...
唐津伊万里

浄泰寺 安田作兵衛の墓(佐賀県唐津市)

じょうたいじ やすださくべえのはか本能寺の変(謀反)で織田信長に一番槍をつけたとされる、安田作兵衛国継(戦国武将)の墓所旧友の寺沢広高といずれかが出世したら禄高の十分の一で召し抱えるとの約束をしており、広高が唐津の大名となったため、家臣とな...
武雄多久小城

持永盛秀の墓(佐賀県小城市)

もちながもりひでのはか持永氏が室町時代に造った持永城本丸跡に残る墓所持永盛秀は戦国武将で、千葉氏の下で龍造寺家に属して武功を挙げたこの墓に詣でると、瘧(熱病)が治るとされた(信仰の墓碑:病気平癒)『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)p...
武雄多久小城

天山 阿蘇惟直の墓(佐賀県小城市)

てんざん あそこれなおのはか多々良浜の戦い(南北朝の戦い)で南朝方が敗れ、南朝の阿蘇惟直(南北朝の武将)は負傷しつつも肥前まで撤退したしかし敵に退路を断たれたためこの地で自刃し、故郷の阿蘇の煙が見える場所に墓を建てるよう遺言したそのため当地...
佐賀鳥栖

法勝寺 俊寛僧都の墓(佐賀県佐賀市)

ほっしょうじ しゅんかんそうずのはか鹿ヶ谷事件で鬼界ヶ島に流罪となったうち、俊寛だけが赦免されなかったしかし赦免された藤原成経・平康頼と共に島を出て、成経の舅・平教盛(平氏)の所領であった肥前嘉瀬まで同行した俊寛はこの地に留め置かれ、荒木乗...
さいたま川口

普門院 小栗上野介首塚(埼玉県さいたま市大宮区)

ふもんいん おぐりこうずけのすけくびづか烏川河原で処刑された小栗上野介(幕臣)の首を、小姓の銀之介が故郷の大宮に持ち帰り、小栗家の菩提寺である普門院に埋葬した上野介は逆賊とされたため、首塚(墓所)には無銘の石が置かれている『日本の伝説18 ...
高崎安中富岡

宝積寺 お菊の墓(群馬県甘楽町)

ほうしゃくじ おきくのはか国峰城主・小幡信貞(戦国武将)の侍女であったお菊は、美貌を妬まれて陰謀によって蛇責めにあって殺された(嫉妬猜疑)その後、お菊は小幡家に祟り続けたとされ、皿屋敷怪談の原型ともされる宝積寺にある小幡家の墓群の一角に、母...
高崎安中富岡

権田栗毛終焉の地(群馬県高崎市)

ごんだくりげしゅうえんのち熊谷直実の愛馬であった権田栗毛は一の谷の戦いで傷ついたため、生まれ故郷に戻されたしかし生家は既になく、絶望した権田栗毛は周囲を彷徨った末にこの地で倒れ死んだ(名馬伝説:鳥獣墓)『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書...
前橋伊勢崎

極楽寺 常盤御前の墓(群馬県前橋市)

ごくらくじ ときわごぜんのはか寺伝では、寿永元年(1182年)に源頼朝が母のために建てたとされる五輪塔常盤御前は、息子の義経を追ってこの地まで来たが、何者かの襲撃に遭って亡くなったと伝わる『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.45群...