武雄多久小城

異教徒塚(佐賀県嬉野市)

いきょうとづか以前は“外道宗塚跡”と呼ばれていた不動山一帯には多くのキリシタンが住んでおり、この地は教会と墓地があったあったとされるかつてこの地から釘が打ち込まれた頭蓋骨が複数見つかったが、異教徒は埋葬の際に頭に釘を打ち込むとの口碑(死の俗...
武雄多久小城

馬場之子屋敷跡(佐賀県嬉野市)

ばばのこやしきあと不動山一帯には多くのキリシタンが住んでいたため、寛永の頃(1624~1644年)にキリシタン狩りがおこなわれたその時、足手まといになる子供を子捨谷に投げ捨てたあと焼いた場所とされる(子女受難)あるいは“子供等の家”という建...
武雄多久小城

子捨谷史跡(佐賀県嬉野市)

こすてだにしせき不動山一帯には多くのキリシタンが住んでいたため、寛永の頃(1624~1644年)にキリシタン狩りがおこなわれたその時、足手まといになる子供を投げ捨てたとされる谷(子女受難)別名“幸助谷(こうすけだに)”とも呼ばれる『日本の伝...
唐津伊万里

副島勇七の碑(佐賀県伊万里市)

そえじまゆうしちのひ大川内の御用窯で働いていた副島勇七は稀代の陶工と謳われたが、度々藩の役人と衝突し、ついに大川内から無断で出奔した3年後、伊予の砥部焼の窯で働いているところを見つかり、絵の具売りに化けた捕吏(藩士)によって捕らえられ、寛政...
佐賀鳥栖

八ツ並長者の碑(佐賀県基山町)

やつなみちょうじゃのひ周辺を治めていた八ツ並長者の屋敷跡に建てられた石碑碑の南西にある“剣塚”が長者の墓所とされる近くの竹藪に生える躑躅の木の枝を折ると重病になるとされる(発病)近くの竹藪の中にある石塔は長者の膳が埋めてある塚とされる『日本...
川越所沢飯能

重闢茶場碑(埼玉県入間市)

かさねてひらくちゃじょうのひ出雲祝神社境内にある、天保3年(1832年)に建てられた石碑文政2年(1819年)に数百年間廃れていた茶の生産を復活させ、“狭山茶”の名で江戸での商取引が活発となったことを記念して建碑された『日本の伝説18 埼玉...
川越所沢飯能

将軍塚(埼玉県所沢市)

しょうぐんづか元弘3年(1333年)、新田義貞が小手指ヶ原から分倍河原の戦い(南北朝の戦い)で幕府軍を破った後、一時滞留していた八国山のこの地に塚を築いて白旗を掲げた現在は八国山緑地内に石碑が残る『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p...
川越所沢飯能

滝の城址 血の出る松跡(埼玉県所沢市)

たきのじょうし ちのでるまつあと滝の城は八王子城と共に落城した際に多くの城兵が死に、松の木の根元に埋められた(落城伝説)戦死者の血を吸ったため、松の木を伐ろうとすると血が出るとされた(血の怪)松の木は昭和47年(1972年)に枯死伐採され、...
行田春日部

川俣締切跡(埼玉県羽生市)

かわまたしめきりあと文禄3年(1594年)に徳川家康の命でおこなわれた利根川治水(堤防)の最初期の工事跡この時人柱となった行者(行者山伏)を祀った締切神社の石碑が横にある(祠は現存せず)『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.55埼玉...
行田春日部

春日部八幡神社 都鳥の碑(埼玉県春日部市)

かすかべはちまんじんじゃ みやこどりのひ古隅田川の流れるこの地は、東国へ下った在原業平が“みやこどり”の和歌を詠んだ場所とされ(『伊勢物語』)、神社参道入口に歌碑が建つ嘉永6年(1853年)粕壁宿の名主らが、公家で歌人の千種源有功に碑文を依...