草木

佐賀鳥栖

浄徳寺 弁財天シャクナゲ(佐賀県神埼市)

じょうとくじ べんざいてんしゃくなげ脊振山の弁財天が、ある時、英彦山を訪れて石楠花の花(木本)を見て欲しがったしかし英彦山の天狗が拒否したため、密かに盗んで脊振山に持ち帰ろうとした気付いた天狗に追いかけられ途中で石楠花を投げ捨てたため、脊振...
佐賀鳥栖

源蔵松(佐賀県佐賀市)

げんぞうまつ浜から金立山へ行く途中で徐福が、千布の地で源蔵という者の家に立ち寄った源蔵は金立山への道案内をし、娘のお辰は徐福の身の回りの世話をした源蔵は徐福一行を案内した記念に松の木を植え、今もそれが受け継がれている“千布”の地名は、湿地帯...
武雄多久小城

嬉野の大茶樹(佐賀県嬉野市)

うれしののだいちゃじゅ樹高約5m、樹齢約350年の茶の大樹慶安年間(1648~1652年)に白石から移り住んだ吉村親兵衛(名士)が植えた茶樹の1本であるとされる親兵衛は慶安3年(1650年)に死一等減じられて以来、茶業を志して植樹・製茶法を...
武雄多久小城

為朝の弓掛松(佐賀県武雄市)

ためとものゆみかけまつ源為朝は最初“おつぼ山(靱山)”に暮らしていたが、領主の後藤助明(地方豪族)が若木に居館を与え、移転させた(屋敷跡)黒髪山の大蛇を退治した時もこの地から出陣したとされ、大蛇に矢を射掛けた“八人掛けの強弓”を立て掛けてお...
武雄多久小城

川古の大楠(佐賀県武雄市)

かわごのおおくす樹高25m、幹周り21m、樹齢3000年とされる楠の木この地を訪れた行基が、幹の部分に高さ2.4mの観音像(仏像)を刻んだ明治の廃仏毀釈の際に観音像は削り取られ、その後その輪郭も剥落している削り取った際、頭部に当たる箇所から...
武雄多久小城

専称寺 核割れ梅(佐賀県多久市)

せんしょうじ さねわれうめ明応6年(1497年)に少弐政資(戦国大名)は大内氏に敗れ退却し、さらに多久氏の離反により、専称寺で自害した自害の直前、腰に付けた梅干し(食品食材)を口にし、種を噛み砕いて地面に捨てたその後捨てた種から梅の木が生長...
佐賀鳥栖

別れの松(佐賀県佐賀市)

わかれのまつ肥前藩の嘉瀬刑場へ送られる罪人が、最後に家族と面会できた場所にあった松の木この場所で罪人と家族が別れの水盃を交わすことが許された現在は移転しており、3代目の松が植えられている『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)p.49佐賀...
佐賀鳥栖

與止日女神社 大楠(佐賀県佐賀市)

よどひめじんじゃ おおくす熊襲(隼人熊襲)の首領・川上梟帥討伐に赴いた日本武尊が、この地に生えた楠の大木を見て「この国は栄(さか)の国」と言い、佐賀の地名の由来となった明国の名僧・如定はこの楠の木を見て「大唐でも見られない巨木」と賞し、肥前...
佐賀鳥栖

霊仙寺跡 日本茶樹栽培発祥の地(佐賀県吉野ヶ里町)

りょうぜんじあと にほんちゃじゅさいばいはっしょうのち建久2年(1191年)に宋から帰国した栄西(名僧)が茶の種を持ち帰り、脊振山にあった霊仙寺石上坊境内で栽培を始め、その製法を教えたとされる(起源伝説)現在も周辺では茶畑が残り、乙護法堂の...
佐賀鳥栖

櫛田宮 琴の楠(佐賀県神埼市)

くしだぐう ことのくす櫛田宮の御神木である楠の木景行天皇がこの地に琴(楽器)を埋めたところ、楠の木が芽生え成長した清浄な心の者が息を止めてこの木の周りを7周半回ることが出来ると、琴の音が聞こえるとされる(音の怪)『日本の伝説38 佐賀の伝説...